ザブトン海峡・航海記

円丈師匠のこと その3

2021年12月12日

 話しが逸れてしまったが、とにかく僕は大学を中退して春風亭柳昇の弟子になった。 当時前座が少なくて休みも無く一年中働いていていたし、もちろん前座がよその協会の真打の落語会に遊びに行くなんて事は出来なかったので、円丈師匠との一方的な接点は消えるのだが、前座も終わりかけの頃に実験落語会の前座でジャンジャンに呼ばれた。  もう嬉しさ爆破だ!タイトルは忘れたが、ボクシング人気を上げるために関係者が話し合うという創作落語をやって、そこそこウケたが、その事よりも終わってから円丈師匠から「ボクシング好きなの?」って声をかけてもらって嬉しかった。それだけで嬉しかった。  その後も新作落語の落語会に呼ばれるようになり、円丈師匠の落語に触れる度に、その落語の舞台設定の多彩さと、作品量に圧倒される事になるのだが、そういった会に「呼ぶ」という事が円丈師匠の創作落語活動の基軸の一つでもあったのだと思う。創作落語家を一人でも多く育てる。という事を円丈師匠は一貫してやり続けた方だった。  当時の落語界の中で創作落語は亜流扱いで、落語は「古典落語」の事を指していて、新しい落語を書いている人達は「しっかりした古典落語が出来ない人」という扱いだった。しかし三遊亭圓生師匠の元で古典落語を学び、古典落語家として将来を嘱望されていた円丈師匠は、新作は古典が出来ない人達が演るものというイメージを簡単に1人で乗り越へ、さらに当時の創作落語の状況を打開する為に自らの創作活動に加えて、それに携わる落語家の数を増やす…ということが大事だと考えてたんだと思う。  その為には三遊亭とか、柳家とか、落語協会とか芸術協会とか関係なく、創作の同志となりそうな人に声をかけ、多くの落語家を創作活動の道へといざない、創作落語家の人数を増やそうとしていてたまたま僕もその中の1人ということ。
 道なき道を行く円丈師匠は、その道を別の人にも歩かせる事で、獣道を作り、その獣道をさらに歩かせる事で、人が歩ける道へと変化させようとしていたのだ。  旺盛な創作意欲と長期的な戦略を持って落語の新しい可能性を切り開いた円丈師の業績は落語史に残るものである。現在の僕達はその円丈師匠の作った道を歩いている。創作落語の象徴的存在であった円丈師匠を失った僕らに出来る事はその道の先を創作落語という新しい靴を履き、胸を張って堂々と歩続けていくことなんだと思う。
円丈師匠 ありがとうございました。
春風亭昇太