米子城の竪堀でもう一つ。
2017年11月21日
米子城の竪堀について書きましたが、毎度の事ながらこれは暫定案であって、これからの調査で判明していくものです。
「こんなんじゃ、ないかなー…」て、考えてものです。
竪堀についてはもう一つ考えていて、この登り石垣と竪堀は、作った時代が違っているのではないかという推測です。
お城は大手口(表玄関)が変わる事がよくあります。状況に応じて主要出入り口を変えた方が利用しやすくなるからですね。米子城も元々は海側が大手口で、後に陸地方向である二の丸方面に変わった。という考えがあります。
その場合。登り石垣が吉川広家が朝鮮の役から帰ってから、登り石垣を採用して作った。これは間違えないと思うのですが、竪堀の方はその後、大手口が二の丸方面に変わってから、二の丸方向から攻めてくる相手に対して造ったのではないか?
それは発掘調査で、竪堀を掘った土を二の丸方面とは逆の海側に盛っているからです。セオリーとして、堀を掘った土を土塁として盛る場合は守備側に盛るんですよ。
だからぁ…
うーん。どっちなんだろう… ♪
鉄道ファンに、乗り鉄とか撮り鉄とかがあるように、お城好きにも色々なタイプがあります。
「天守閣好き」「石垣好き」「土塁好き」んでボクみたいな「縄張り好き」
縄張り好きは、こんな事考えてる時が一番楽しいだよなぁー。
あー。安上がりな趣味だこと ♪
写メは、石垣好きの鑑賞にも十分な鉄御門(くろがねごもん)方面の石垣。素晴らしい !
春風亭昇太