ザブトン海峡・航海記

三遊亭円丈師匠のこと

2021年12月10日

 三遊亭円丈師匠がお亡くなりになった。  このブログには楽しい事しか書かないと決めていたんだけど、どうしても書いておきたいので、円丈師匠の事を書きます。
 僕が円丈師匠を知ったのは、東海大学の落語研究部に入って落研の仲間に「東京乾電池」の公演に誘われた時だ。落研なのに落語に限らず面白そうなモノは見に行く…当時の東海大学の落研には、そんな空気が流れていた。  当時渋谷公園坂にあった「ジャンジャン」という小ホールは熱気溢れる文化の発信地で、演劇、ミュージシャン、落語、様々な団体や個人がここでそれぞれの表現をしていて、その一つが当時まだ高田純次さんもいた「東京乾電池」だった。  近距離で柄本明さん、ベンガルさん、綾田俊樹さん達の息遣いもダイレクトで伝わる贅沢な舞台を楽しんで、終演後、公演パンフレットに来月の公演ラインナップで見たのが「実験落語会」
「実験落語会」なんて魅力的なタイトルだろう。今でこそ不思議なタイトルの多い落語会だが、この頃こんなタイトルを出す落語会なんて無かったので、とても印象的だった。  そして、翌月に行った「実験落語会」は凄かった。それまで聴いていた落語とは別物で設定、登場人物、全てが自由で、痛快だった。…そう「痛快」って言葉が一番合ってたと思う。  しかも当時の三遊亭円丈師匠はその落語会で2席も新作落語を演じていて、もの凄い迫力だった。
 それまでの僕にとっての古典落語は遠い江戸の世界で、新作落語で描いている世界は昭和40年代くらいのイメージで、どちらも今生きている僕の世界とは少し離れた存在だったのだが、円丈師匠の落語はそうではなく、まさに今生きている時代の落語で衝撃だった。
 それ以来「東京乾電池」と「実験落語会」を中心に様々なライブを観るためにジャンジャンに何度通ったものか…
  …つづく…
 ジャンジャンの看板。
今思えば、渋谷の一等地にキャパ200程の、どちらかと言えばアングラな劇場があった事が信じられないくらいだ。
春風亭昇太