ザブトン海峡・航海記

九戸城発掘現場

2025年11月4日

  そして今回、九戸城で見学させていただいたのが「石沢館」(九戸城の中にある曲輪の名称です)の発掘現場です。

 「九戸政実の乱」の後九戸城は改修されて、本丸と二の丸の間の堀などは石垣が積まれているんですが、文献や絵図などに改修の記述等が無いことから、九戸城の石垣は他の曲輪には無いと考えられていたんですが、今年の発掘調査で、石沢館と呼ばれる曲輪からも石垣が発見されたそうで見てきました。
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いゃあ良い石垣でしたね〜。

お城の姿なんですが、足利政権時代、全国の守護大名たちは室町将軍家の住まいである「花の御所」に合わせて館を作るんですね。住まいが権力の象徴なんです。

で、豊臣秀吉が天下を取ると「織豊系城郭」と呼ばれる織田、豊臣の流れの中で生まれた石垣と天守という、今の日本人がお城と言ったら思い浮かべるお城の形にならった城を盛んに作るんです。

九戸城も豊臣系の石垣の城にしたかったんでしょう。

その後、九戸城に居た南部氏は盛岡に「盛岡城」を築いて拠点を移動します。この盛岡市は見事な石垣の城なんですが、多分九戸城では高い石垣は造れないと思います。

 九戸城は鹿児島県などにある「シラス」と呼ばれる火山灰と軽石が混じった砂のような地質で、ここに高い石垣を積む事が難しかったんじゃないかな? そんなことも盛岡への移転の要因の一つだったんじゃないのか…?

な〜んて考えた見学になりました!
春風亭昇太