ザブトン海峡・航海記

4号茅ヶ崎城に

2009年4月4日

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昨日、昼間に打ち合わせを終えてしまい、部屋でボンヤリするのも嫌だったので、2時頃家を出て横浜の「茅ヶ崎城」に出掛けた。

「茅ヶ崎城」は横浜市営地下鉄「センター南」徒歩5分程にある。

開発が進む市街地で、駅から徒歩5分の場所に中世城郭が、ほぼ完存している奇跡的な城だ。

駅の地域図で軽く確認して、プラプラ歩けば、直ぐに到着。

初めて、ここに来たのは前座の頃の20数年前。当時の茅ヶ崎城は、手付かずの遺構が圧倒的な迫力で迫ってきたが、現在は公園整備が進んで、見易い事、この上ない。

昔は雑草と雑木林の「西郭」と「中郭」の間の空堀も舗装されています(写メ1)

「中郭」に上がれば、郭の南側から西側の土塁が見事!(写メ2)

正直言って、公園化し過ぎて、「北郭」なんて駐車場みたいに舗装しちゃったし、柵は鬱陶しいし、少々残念だが、破壊される中世城郭が多い中、駅から徒歩5分。案内板も豊富。ハイヒールで行ける中世城郭なん滅多に在りません。

時間があったら「茅ヶ崎城」へ是非どうぞ。

お城の整備は、難しいね

帰りは三軒茶屋のシアタートラムに、友達が出演している「A to P」を観に行く。

お城と、芝居。いい1日でした!

4号安土城へ

2009年3月27日

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26日、4号こと春風亭昇太は、滋賀県長浜市で落語会だ。

滋賀県は城跡が、うじゃうじゃ在る事で有名な、お城王国。

何しろ滋賀県は、京都から東に行くにも、北に行くにも重要な交通の要所。名だたるお城がワンサカです。

で、会場に入る前に。行ってきました安土城!

最近はディアゴスティーニでもお馴染みの織田信長の居城だ。この城から、日本人が大好きな、石垣&天守閣の、いわゆる近世城郭が始まったそうじゃ。

いゃ~。普段、土塁系のお城中心に観てるけど、さすがに、大手道から天守台まで、見事な石垣が続く様は、壮観!! (写メ1)

途中の石段には、石仏も、ただの石材として使われています(写メ2)

「こんなモン、仏じゃにゃ~。ただの石だがやぁ~」って感じで。仏敵、織田信長の面目躍如と、いったところか。

本当は、隣にある六角氏の居城「観音寺城」を見たかったんだけど、この城は余りに巨大で23時間では無理と判断して、今回の「安土城」でした、

いつか、必ず行ってやる。待ってろよ「観音寺城」! 

しかし、最近は城ブログみたいになってるなぁ~落語の事も更新しますね♪♪

4号、興国寺城へ

2009年3月24日

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今日は沼津市で、楽太郎師匠との二人会。

昼の部の高座に上がる直前に、WBCて日本が、53で勝利したという、結果が飛び込んできた。

勿体つけて、日本優勝を客席に伝えると、凄い拍手!中には涙ぐむオバチャンも日本人は、こんなに野球好きだっけ?

さて、夜の部はトリになったので、待ちの時間が長くなった~。そこで!

沼津市にある「興国寺城」に行く事にした!!

興国寺城は、北条早雲が今川氏から拝領し、ここを足掛かりに、関東一円に領土を広げた、大北条王国発祥の城。城郭ファンには有名な城だ。

沼津市民文化センターから車を出してもらい30分程で到着。

そしてどーん!目に飛び込んで来たのは、物凄い高さの土塁!こんな高さの土塁見たことないです~何メートル有るんだろう、小山のようだ。(写メ1)

いや、高いって話しは聞いていたけど、これ程とは!

土塁に上がると、その向こうは巨大空堀。堀の中に入ったら怖いくらいです(写メ2)そのダイナミックな事!スゴイぞ興国寺城!

北条早雲以来(その前から有ったかも知れないケド)今川、北条、武田、徳川の激戦地のど真ん中で最後の城主が、家康の家来の天野康景。この人が凄い。

一万石の石高を貰いながら、農民を斬り殺した家来を、家康から差し出すように言われたら「やだ!」って、遁走し、興国寺城は廃城

一万石っていったら大名ですこの人、家臣想いの名君なのか、バカなのか?歴史には色んな人が登場しすぎて、面白いなぁ

興国寺城は只今、発掘調査中。あと五年ぐらい後に行くと見やすいかも!

4号高津戸城へ寄る

2009年3月21日

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4号こと春風亭昇太は「笑点」収録を終え、群馬県みどり市、大間々にある「ながめ余興場」へ、朝日さわやか寄席の公演にきた。ながめ余興場は、銅山で、エライ儲かった時代に建てた風情のある、良感じの劇場だ。

2時間ほど早く着いて、楽屋でボンヤリしようかと思ったが、地図を見ていたら。胸騒ぎ地図に、ながめ余興場の脇を流れる、渡良瀬川の反対側に「要害神社」の文字。

 

 

城跡に、よくついている地名が幾つかある「城山、根小屋、堀ノ内、殿山、等々」そして要害も、そのひとつだ!

さっそく携帯で「大間々 城郭」で検索したら。出た~!「高津戸城」場所もどんぴしゃ「要害神社」がそれだ。

こうなると、日没までの時間との戦い。事務所の車で神社駐車場に行くと、高津戸城の案内板があり、すでにココが三の郭と知る。 

神社に向かって、ずんずん進むと、竪堀らしき物、曲輪らしき場所を見ながら、神社の一段下に出ると、明らかに腰曲輪が一の郭をぐるりと一周している!城壁がカッコいいぞ!(写メ1)

その後も、尾根にそって堀切で防御された場所が23段認められたり、井戸跡を見つけたりと、予習しなかっけど、遺構が比較的単純な分、分かりやすかったぁ。

その後、カメラで雑木林に拡がる遺構を撮っていると、女の子を連れたお母さんと遭遇。怪しかったのだろうか?女の子が「何してるの?」と聞いてきた。お母さんは、女の子に、この人に話しかけちゃダメ!オーラを出して「ホホホ」と乾いた笑い声を出している。

正直に「お城を見に来たの」と答えると「ここに、お城有ったの?お母さん!」お母さんは「この男、オカシイ」といった引きつった顔で「ホホホ」と笑う。

「お城だったら、お姫様と王子様はだれ?」お母さんは、早くこの場を離れましょう!って感じで娘の腕を引っ張りながら「ホホホ」と笑っている

お姫様は知らないが、よっぽど、案内板に書かれていた、由良国繁に攻められ、この城で無念の討死をした、里見勝政、勝安兄弟の最後を、感情たっぷりに語ってやろうかと思ったが、警察に通報されそうだから止めておいてやった!

あの親子。今度逢ったら、成敗してやるからな!

日没タイムアウトで楽屋に帰り、落語炸裂!里見兄弟も喜んでいるであろうホホホ。

4号一乗谷へ!

2009年3月14日

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4号こと春風亭昇太は、本日は福井市での公演。

当然、こんなチャンスを逃すはずもなく、福井市の「一乗谷朝倉氏遺跡」に行って参りました

一乗谷は、朝倉氏の館や城の遺跡がセットになって残っている、大変に貴重な場所。中世城郭ファンなら誰もが行きたい聖地です。

タクシーに乗り込んで20分程で、谷をシャットアウトするように造られていた「下城戸」が表れます!ギャー。と叫んで、運転手さんに「ど、どうしました?」と驚かれながら、土塁と石垣が美しい姿を堪能。

その後も、住居跡や上城戸が表れる度に車を止めてもらい。キャーキャー走り回って写真を撮りまくり。館の前で、運転手さんとお別れ。

一乗谷川に架かる橋を渡ると、山を背後にして、コの字形の堀と土塁に守られた館の「唐門」が見えてきます。(写メ1)

中に足を進めれば、もうそこは中世の世界礎石を頼りに、建造物を想像しながらそぞろ歩けば、隣ある「諏訪舘跡」に出ます。また、そこに残る庭園の雅な事…(写メ2)

そして、諏訪舘跡から見る「朝倉義景館跡」に、タメ息…(写メ3)

雨と時間の関係でお一乗谷城は断念。また来よう、ウン!

織田信長の「焼いてまえやぁ~」で三日間燃え続けたと言われる一乗谷は、谷全部が遺跡で、戦国の街並みが、そっくりそのまま遺されている、奇跡的な場所なんですね~

ちなみに、この後の福井公演で一緒だった、紙切りの林家二楽に「上城戸」の土塁を見せたら「土手ですか~?」と言われて、逆上し、ハサミを奪って串刺しにしそうになりました!!

馬鹿なんだから!

4号滝山城へ

2009年3月5日

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すみません。先ほど写真しかアップされていませんでした。こちらが本当。

遅くなりました。って、待っていた人がいたかどうかは別にして

四号こと春風亭昇太は、秋川キララホールの落語会の前に、八王子市の滝山城に行って参りました。

滝山城は東京を、いや日本を代表する規模や遺構を誇る、中世城郭の名城です。

大手口の看板からお城に向かって進むと、いきなり左右の土の壁に挟まれたり、クランクしていたりと、山城気分満載です。

小宮曲輪の堀に沿って進むと、三の丸前の巨大な空堀 ! 「きゃー。堀ですー。きゃー」お魚くんなら絶叫しているでしょう。

お城は、攻め手側の気持ちになって歩いてみると、面白い発見があります。

足軽気分で、二の丸に突入。右側と正面から十字砲火を浴びながら、本丸に向かおうとした時、道が二手に別れるのですが、軽く右が登り坂、左が下り坂。本丸(山城の場合、本丸はほとんどが、山の最高地にあります)を目指す、足軽昇太の精神状態としては、当然右の登り坂を選んで進んだら様子がおかしいあわてて城図を見ると、城の中心ではなく外側に向かっていたのです~?

恐るべし、滝山城。引き返して、下り坂を進んで、中の丸、本丸へ到着。

帰りは、お城のボランティアの方達に「笑点の人だ」なんて言われながら。見所の「角馬出」の説明を受けたりして面白かった。

今回は、大手口から本丸へ向かいましたが、登り口は沢山あります。お楽しみは残してあるので、次は何処から登ろうかなー。 

ちなみにココ滝山城は「天地人」で春日山城として登場します。ロケ地って事ね。

春は桜の名所。城はともかく、いい散歩になりますので、花見に滝山城へ行ってみてはいかが。

余談ですが、秋川キララホールの会場の受付に、お姫様みたいに奇麗な人がいて、滝山城ともども特した気持ちになりました。

写メは、三の丸前の堀と 四号が騙された?Tの字のに別れた二本道。解りづらいけど、右が軽く登り坂になっています。

4号のわがまま

2009年2月13日

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4号こと春風亭昇太は、柳家花禄さんと愛知県幸田町に2人会に行って来ました。

あまり落語会をやっていない会場らしいのですが、お客さまのノリが良く。こちらが乗せられて、楽しくできました。

皆様、ありがとうございました~。

さて、三河安城から車で幸田に向かったんですが、わがままを言って安城市の「本證寺」(ほんしょうじ)に寄ってもらいました。

本證寺はお寺なんですが、一向一揆の拠点として、徳川家康と対抗した堀や土塁を巡らせた、城郭伽藍のお寺、早い話がお寺という名のお城でした。

写メは鼓楼と内堀と、にやける俺です。

これは江戸時代の改修なんですが、戦国大名とも、まともに対抗する一大勢力、一向宗のパワーが偲ばれます。

写メ2

現存の本證寺さんは、現代の穏やかな寺院。門前の、有り難いお言葉が、落語会の前に、わがまま言った私の胸に、染み入ります~反省。

Re: 追伸

2009年2月12日

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前の写メは本丸そばの石垣と、本丸でニヤつくワシじゃ。

姫路城も良かったけど、自由に想像して楽しめる中世城郭は、い いいなぁ。

ちなみに、姫路城「と」の門は置塩城の大手門の移築したものだ そうです。廃城後の置塩城は姫路城築城の資材となって生きている んですよー。

つー事で、昇太の播磨国妄想旅行は、これにて一件落着じゃ。

おまけで、この写真が置塩城全景。誰だ。ただの山じゃんって 

言ってるやつは。滅ぼしてやるー。

四号播磨の国その2

2009年2月12日

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四号こと春風亭昇太は、姫路城を見た明くる日、次の目的の「置 塩城」(おじおじょう、おきしおじょう、といくつか呼び方がある ようです)に向かったんじゃ。置塩城は播磨守護、赤松氏の居城 

で、現在は国指定史跡になっております。

姫路の街から、車で20分程走った程度なのに、イメージ的には、静 かな山里といった風情のある、姫路市夢前町に「置塩城」があります。

たとえ国指定史跡でも、観光地って訳では無いので、タクシーの 運転手さんに「置塩城」言って下さい「あいよっ」ってわけにはい きません。運転手さん携帯で、誰かとゴニョゴニョ話した後「息子 

の嫁が、そこの出だから聞いて、わかりましたよ」と言って連れて 行ってくれた。

 

置塩城登山口と書かれた石碑を見ながら、幾重にも折れる細い山 道をヒーヒー言いながら、汗だくで登り。ようやく遺構が確認出来 る場所の「南曲輪群」に出る。かまぼこ形のスペースが何段か重 

なって下に広がっている。(全然イメージ出来ないでしょ、すみま せん)何だか嬉しくなって、さらに登ると、茶室跡、二の丸、三の 丸、台所跡、本丸と次々に遺構が続く。しかし、この山の上で、 

お茶をたしなんでいたなんて、当時の武家の雅な一面が感じられて素敵。

4号播磨の国へ

2009年2月10日

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4号こと春風亭昇太は、今年になって初の2日間の休み!それを使って播磨の国にやってきました!

目的は兵庫県姫路市にある国宝、姫路城じゃ。

姫路城は今年の秋から、大修理に入るので、どこかにシートの貼ってない姫路城を見るためには、今しかない。つー事で、姫路まで遠征に来たという訳じゃ。 

姫路城に来たのは二回目、前回は大学生のころだから、30年振りという事になる。

いやいや、普段こうした近世城郭はあまり行かないんだけど、これだけ天守閣、櫓、石垣、堀とトータルで残っていると、素晴らしいね~。

特に石垣は、東日本の城には見られない高さで、アッパレ!

大戦中の空襲で焼けなければ、名古屋城も世界遺産級だったのに、惜しい。

夜は、刺身や穴子を食べて殿様気分。でも、こんなもんで終わったと思うな!播磨の国の名城が、俺を呼んでいるんだよ!

4号柏市にて

2009年2月8日

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4号こと春風亭昇太は、本日、柏市のアミュズ柏で落語会。

実は、千葉県は中世城郭の宝庫。柏市、松戸市,我孫子市と都内からも近い街にも、城址が山盛り。

ホールの近くにも「増尾城址公園」があります。ワクワクしながら柏に行ったんだけど。マネージャーが訪城の事をすっかり忘れて迎えに来たので、見る時間が全くなく、とにかく行くだけ行ったけど、あんなに城跡で走った事はなかった! まさに城攻めの足軽だ!

小ぶりだが、中世城郭の雰囲気たっぷりの増尾城は、2郭を一周する土塁が素敵櫓台もしっかり残っていて、格好良かったけど、開演時間との戦いで、もっとゆっくり見たかったなぁ~

写メは、土塁前の案内板と、疲れている4号です。

4号島根県に

2008年11月10日

昨日、島根県に入った4号事春風亭昇太は、吉賀町で一席やった。会場が体育館という事もあり,不安だったが、いいお客様に助けられて、無事に終演。

今日は朝から益田市にある七尾城に行った。

石川県に上杉謙信に攻められた有名な城があるが、こちらの島根県の「石見 七尾城」は。この地の有力豪族、益田氏の本拠地です。小雨の中、なんとか本丸にはたどり着きましたが、足元が滑りやすく、急斜面が怖くて、他の細かい遺構には辿り着けませんでした。でも、かえって山城の迫力は感じられました。

帰りは、益田市歴史民俗資料館に寄り、「三宅御土居」(益田氏の屋敷跡)に寄って帰りましたとさ。

興味の無い人には、バカみたい~~って感じの午前中でした。

4号、都於郡城に!

2008年7月12日

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朝、530分に目が覚めたのは、余が爺さんになったからではない。興奮して起きてしまったのじゃ。

7時に朝食をすませて、タクシーで向かったのは日向国伊東氏の居城「都於郡城」(とのこおり城)だ。中心部が、本丸、二の丸、三の丸、西の城、奥の城の五郭からなる大きな城なのじゃぞ。

特に見たかったのは二の丸に現存する土塁でのぉ(写メ)4500前の城の土塁は、だいたいが風化して、小さくなってしまっているものが多い中、見よ。この2m以上の高さで長く延びている見事さをナニ、よく判らぬ!そのような者達は手打ちじゃ!うつけ者めが!

他にも、各部所が深い堀切で区切られて、独立性が高く、関東の城のような技巧性は感じられないが、ダイナミックで、あっぱれじゃ。

また、ここは。遣欧少年使節の伊東マンショ誕生の地でもある、ワシとマンショのツーショットも見るがよい!

かくして、ワシの二時間半に及ぶ、中世妄想旅行はおしまい。さて、ホテルに戻ってシャワー浴びたら、都城市に行って、もう一仕事じゃ。馬引け~ぃ。