ザブトン海峡・航海記

春風亭昇太・韮山攻めはまだ続く!

2013年3月5日

しかし、天ヶ岳は素晴らしかった…
興奮を押さえながら、中井先生や、伊豆の国市文化振興課の皆さんと会食をした。
未練たらしく「明日は、皆さんは〜何処を見に行くんです〜か〜〜」と聞くと、付城を見に行くのだそうだ!!
「付城ですかぁ〜!♪」
付城とは、城攻めをする際に、当然反撃を食らう場合もあるし、ある一定の日数の駐屯が必要になる場合、拠点となる防御施設がないと安心出来ない。
そこで、城を攻める時に、城攻めの為の城を造るのだが、それを「付城」と呼ぶ。
この付城作戦を得意としたのが、織田信長であり、豊臣秀吉で。
攻める城を、付城を幾つも築いて取り囲み、兵糧を絶ち切って降伏させたり、その城の行動を押さえる事で、別の作成を進行したりの城攻めパターンは「三木城」「鳥取城」で城内を「干殺し」(凄い言葉だ)した事でも有名である。
当然、北条氏制圧に来た豊臣秀吉は、韮山城攻めにあたり、この得意の作戦に出て、韮山城の周りに幾つもの付城を築く事になる。
それを見に行くと言うのだ!
「…いいですね〜…」と呟くと
「…行きますか〜?」と、皆さん。
何しろ、落語会の主催も伊豆の国市の文化振興課だから、城に体力の全てを使われたり、ケガでもされたら困るのだぁ〜
「お願いします〜」
「1つだけですよ!」
つ〜事で、わしの韮山攻めは、まだまだ終わらない!付城 に行くのだ!
写メは、毛利家文庫の「小田原之時韮山城仕寄陣取図」からの資料
韮山城を豊臣配下の武将が取り囲んでいるのがわかる。
〓春風亭昇太〓