ザブトン海峡・航海記

諏訪原城♪

2018年8月28日

 以前伝えたとは言えども、やっぱり諏訪原城のことは書いておきたいなー。

 駿河と遠州の境にあたるこの地では、武田と徳川が激しく激突する。諏訪原城もその攻防の舞台となり最終的に徳川の城になる。

 少し前までは武田流の築城術で造られた城と言われてきたのだが、近年の発掘で武田氏が築いた城に徳川が大幅に改修を加えた、徳川の城であった事が解ってきた。

 そしてその徳川の城の普請が凄まじい。高校生の頃初めて見た時に、小雨の中に浮かぶその空堀の凄さに呆然と立ち尽くした思い出がある。

 その頃は木に覆われていた諏訪原城だったが、島田市が頑張って整備してくれて、とても見易い中世城郭になっていますよ。

 深い空堀、明確に残る土橋や丸馬出し。超一級品である。

 この城をこの地の中心にしようとしていた事は間違いない事だと思う。そこで気になるのが今川氏真の存在だ

 今川義元が亡くなった事で求心力を失って弱体化する今川氏に、同盟の約束を破って武田信玄が攻め込んで来る。今川氏真は朝比奈泰朝が守る掛川城に逃げ込みますが、ここも徳川勢に包囲されるます。半年間も籠城した後、和睦して掛川城を開城しているが、この時の和睦の条件が武田を破った後の今川氏真の駿河国主復活だったという。

 そして徳川家康は、諏訪原城を武田から奪取すると、ここを「牧野城」と改めて諏訪原城攻めにも参戦していた今川氏真を城番として入れている。

 城を大改造して、わざわざ改名をして、そこに今川氏真の入城。この城を拠点にして和睦の約束を果たそうとしていたのではないか…?

 その後、一年足らずで氏真は浜松に戻されてはいるが、凄い規模の諏訪原城の改修が必要だったのは、この地の元国主である人物が関わっているのではないか…なーんて思っちゃう程素晴らしい諏訪原城でした♪

 丸馬出しに三日月堀と日焼け防止で農家のおばさんみたいになっているワシ。凄さが解らないと困るんで前に撮った写真もオマケ。カッコイイー♪

  春風亭昇太