ザブトン海峡・航海記

知覧城不思議な虎口_2

2017年2月11日

 で前回の、つづき。

 知覧城を見学後、知覧武家屋敷に行ったのですが、ここには屋敷の門に小さな「枡形」という門から入った人が直進出来ずクランクさせられる四角いスペースがあって、知覧城の虎口に多用されていた、枡形の影響だと考えられています。

なる程。と思いながら、森重堅邸を見学していたら、なにやら不思議な入り口が2つ。なんだコレと思ったら「男玄関・女玄関」という男女の入り口を分る玄関で、当時の男尊女卑の象徴みたいに言われている玄関なんでずか、客人や主人の入り口と区別する事で、身分を分けるという意味があるようなんです。それでハッとしました。
(写メ、男玄関・女玄関)

 織田信長などの城、例えば安土城では、信長は山頂に住み、その下に家臣屋敷等が広がっているので位置的にも主従の関係が現れています。

 知覧城は、それぞれの曲輪の独立性が高く、主従の関係が縄張りの上では読み辛いので、主従の関係が緩やかではなかったかという考えがあるんですが、それはシラスの台地上に城を形成するなかで自然に、あるいはいたしかたなくそうなっているだけで、それを解消するために、主郭部の入り口に2つの入城口を造り、城の主君が使う玄関と、家臣が使う玄関で区別する事で、主従の縦関係を保つ要素にしていたのではないのか…

 武家屋敷の枡形を見た後に、男玄関・女玄関を見たら、わざわざお金のかかる玄関を2つ造るというのが、男尊女卑を実行するには無駄過ぎるような気がするんです。お金かけなくても、座わり位置、食べ物、お風呂の順番、等々でいくらでも出来る事です。

先祖伝来の知覧城の影響であるならば、枡形同様わざわざお金をかけての造作は納得出来ます。

知覧城の2つの入り口は中世における「男玄関(主君の使う玄関)・女玄関(家臣の使う玄関)」だったのではないか ?

…というのが、僕のあの不思議な2つのルートを持つ登城口への四つ目の考へです。

 知覧城と武家屋敷を見て、ざっくりと思った感想なので、もう少し他の南九州地域の城や武家屋敷の形態を勉強をして、共通性や独自性を基に考えてみたいと思っています。

 いゃあ、こんな事考えてると、楽しくて時間があっという間に過ぎていくんだよなぁー。

バカだなぁー俺♪

〓春風亭昇太〓