ザブトン海峡・航海記

弟子の結婚式〜♪

2013年5月6日

弟子の昇也が結婚をして、今日はその披露宴だ♪
大名みたいな入場に、お友達の料理研究家の手料理。立派な会場。
何だか凄いぞ。
奥さんもらったんだから、本当に頑張って落語をやってもらいたい…
頑張って稼いでくれ。昇也!!
それにしても、この後に寄席があるので、お酒飲めないのがツラい〜
〓春風亭昇太〓

池袋演芸場は!

2013年4月30日
書くの忘れた。
池袋演芸場は5月5日までです。
それから、岡山城は…世界遺産急の…じゃなくて
「世界遺産級…」でした。
このくらい解るよね。 すみません〜。

明日から寄席だよ。

2013年4月30日
岡山で落語の後は、ゴールデンウィークの寄席に出演します〜♪
池袋 17:30上がり
末広亭 18:45上がり
※末廣亭は披露目なので19:25口上出演あります。
5月6日は池袋はお休み。末廣亭は時間が遅くなりますが出る予定です。(時間未定)
5月8日は、津山市に行くのでお休みです。
寄席は他の出演者の都合などで時間は正確ではありません。宜しく〜♪
〓春風亭昇太〓

岡山で落語会

2013年4月29日


きょうは岡山で30周年記念落語会があった。
岡山出身の、うめ吉さん、小朝・小遊三両師匠という豪華なゲストに助けられて岡山では初めての落語だった。
会場は岡山城の隣。というか完全に城内。
ってことで、ちょっと寄ってきました。
岡山城は米軍の空襲で焼けなければ、世界遺産急の城郭だった史跡だった。
現在でもコンクリートではあるが外観復元で、その威容を感じる事が出来る。(写メ1)
これが、木造建築だったと思うと、その建築技術の高さに驚くばかりだ。
そしてこちらは月見櫓(写メ2)
この櫓は戦禍を免れた現存の櫓で国の重要文化財だ!
すぐに戻って、高座に上がる。
初めてなのに、凄く温かいお客様で演りやすい。
岡山のお客様、ありがとうございました。
いつか、小さい会場でいいから岡山で独演会をやりたいなぁ〜♪
〓春風亭昇太〓

4 月上席浅草出演のお知らせ

2013年3月22日
4/1〜5 四月上席前半昼の部に出演します。
 久しぶりにトリをとりますよ。
出演時間です。
4/1(月)〜5(金) 16:10上がり
お休みはありません。
一門の兄弟子や弟弟子も大集合。お暇でしたら是非来て下さいませ〜♪
〓春風亭昇太〓

岩国の美味♪

2013年3月17日

すっかり、城ブログですね。と仲間から言われて。
あっ。そう言えばそうだ!という事で、城以外のお話し。
昨夜は、毎年呼んでいただいている「岩国シンフォニア」での独演会でした。
毎年、独演会って訳じゃない。去年はたしか好楽師匠との会でしたが、再び独演会が復活。
空港が出来て、格段に行きやすくなった岩国はだが、なんと言っても、お客さんが素晴らしい♪
反応が良くて、微妙なニュアンスもくみ取ってくれて、演っていても気持ちがいい。
昨夜も楽しかったです。
終わって、岩国の美味しいお酒に、見よ!!この金目鯛!!
フグ刺しも、美味しかったし。サバ寿司も♪
ありがとうございました♪
〓春風亭昇太〓

春風亭昇太・韮山城調査のまとめ

2013年3月14日

今回「韮山城」「天ヶ岳」「本立寺付城」と城めぐりをしたが、全体的に残りが良くて、堪能出来た。
特に、付城は興味深く。あの延々と延びる土塁線は、やがて次の付城の土塁と繋がり、柵や塀。堀を経由しながら韮山城を取り囲んでいたようだ。
(写メ1)は「鎌倉幕府草創の地・伊豆韮山の中世遺跡群」(池谷初恵著)から拝借した、1948年米軍撮影の航空写真。
(この米軍の航空写真は、日本全国で大量に撮られていて、現在では消滅してしまった遺構等も写っており、城郭研究の資料ともなっています)
黄色の線が、航空写真に写っていた堀と考えられるラインだ。
これが、北条方が作ったもの…豊臣が作ったもの…韮山城攻めの後に作られたもの…と、幾つかの考えが挙げられているが、今後の研究で豊臣勢が作った堀で、この堀から付城の土塁ラインが繋がっていたとしたらどうだろう…
豊臣秀吉が加藤清正に宛てた書状に、こんな記述がある。
「韮山義も付城堀、塀、柵出来候、是又可被干殺候」
鍋島直茂に宛てた書状には。
「堀をほりまわし、堀(塀?)柵を丈夫相付、鳥之かよひも無之被仰付候」
とある。
これを、それぞれ名古屋弁風に現代語訳すると…。
「韮山にも付城、堀、塀、柵が出来ましたがね。ここもまあ、飢え死にさせたりますがね〜」
「堀を掘って囲んだってせゃーが、塀や柵の丈夫いのを作りつけたって、そんで鳥も通わんようにせやあって、命令しましたがね〜」
…となる。なるか?
これらが、秀吉の誇張ではなかった事が証明されたら。とても面白いと思う♪
いずれにせよ、韮山城を中心とする城郭遺構は、豊臣秀吉の城攻めの全貌を、史跡という形で明らかにする、大変に貴重な資料である事は間違いない。
今後の10年続くという調査が待たれるところだが、それには伊豆の国市の韮山の皆さんの、理解と協力が何よりも必要となるだろうが、もとより歴史深い地区の皆さんだから、大丈夫だろう。
史実には関係無いテキトーな天守閣風の建物を建てて、城跡を公園整備する時代は、とっくに終わっている。
ますます本物が求められる今だからこそ、韮山城や周辺の城郭遺構の重要性がグロースアップされて、大事にされていく事を、期待しています…。
〓春風亭昇太〓

春風亭昇太・本立寺付城へ

2013年3月5日

城攻めの朝は早い。待ち合わせ場所の本立寺に行くと、調査の人数が増えている。
名前を出していいのか確認していないので、ここでは名前は伏せるが、あっ!この方あの歴史雑誌で見た。この人の論文読んだ。あのホームページ書いてる人だ♪…みたいな人ばかり。!
何だか、スターに会っているみたいで、嬉しいぞ♪
本立寺の脇から山道を進む。途中、堀切や竪堀を確認。本立寺付城に入った証拠。
さらに進むと、土塁が見えてきた。(写メ1)
この土塁が長い!尾根筋に延々と続いているではないか!
そして、その伸びている土塁の先は断崖で止まっていた…
ここに配属されていたのは蜂須賀家政隊・2500の軍勢だ。大きな駐屯地となるような場所が無い事から、蜂須賀隊の足軽達は、この長く続く土塁に貼り付くように、煮炊をし、博打で僅かな銭を賭けながら、寝起きをしていた事だろう。
そんな想像をしているだけで楽しい。城歩きの醍醐味の1つだ♪
妄想にふけっていると
「じゃあ昇太さんは、そろそろ…」
落語会は14時開演。残念だがタイムアップだ。
「師匠〜。残念ですね〜♪」
笑いながら、さらに奥を見に行く皆さんと別れて、土塁を見ながら、下山。
奥の方が何だか楽しそうだなぁ〜。
韮山での充実の2日間だった…
〓春風亭昇太〓

春風亭昇太・韮山攻めはまだ続く!

2013年3月5日

しかし、天ヶ岳は素晴らしかった…
興奮を押さえながら、中井先生や、伊豆の国市文化振興課の皆さんと会食をした。
未練たらしく「明日は、皆さんは〜何処を見に行くんです〜か〜〜」と聞くと、付城を見に行くのだそうだ!!
「付城ですかぁ〜!♪」
付城とは、城攻めをする際に、当然反撃を食らう場合もあるし、ある一定の日数の駐屯が必要になる場合、拠点となる防御施設がないと安心出来ない。
そこで、城を攻める時に、城攻めの為の城を造るのだが、それを「付城」と呼ぶ。
この付城作戦を得意としたのが、織田信長であり、豊臣秀吉で。
攻める城を、付城を幾つも築いて取り囲み、兵糧を絶ち切って降伏させたり、その城の行動を押さえる事で、別の作成を進行したりの城攻めパターンは「三木城」「鳥取城」で城内を「干殺し」(凄い言葉だ)した事でも有名である。
当然、北条氏制圧に来た豊臣秀吉は、韮山城攻めにあたり、この得意の作戦に出て、韮山城の周りに幾つもの付城を築く事になる。
それを見に行くと言うのだ!
「…いいですね〜…」と呟くと
「…行きますか〜?」と、皆さん。
何しろ、落語会の主催も伊豆の国市の文化振興課だから、城に体力の全てを使われたり、ケガでもされたら困るのだぁ〜
「お願いします〜」
「1つだけですよ!」
つ〜事で、わしの韮山攻めは、まだまだ終わらない!付城 に行くのだ!
写メは、毛利家文庫の「小田原之時韮山城仕寄陣取図」からの資料
韮山城を豊臣配下の武将が取り囲んでいるのがわかる。
〓春風亭昇太〓

春風亭昇太・天ヶ岳へ・2

2013年3月3日

さて、天ヶ岳の続きだ。
山中に現れる、北条氏特有の畝堀に驚嘆しながら、更に尾根筋をロープを頼りに進む!!
尾根の幅だから、とても狭い。調査の一行も、縦長の列になって進むのだが、これは、この天ヶ岳砦を攻める敵側の部隊も同様だろう。何しろ両サイドは山の斜面で、現在のように鬱蒼と木がはえてはいない。
以前、何度か書いたが、城だった時代は防衛上視界が悪いので、木は伐採されていたハズ。両側が絶壁の山の細い尾根を進むのは精神的に辛い!特に先頭の人の心細さは容易に推察出来る。
その、ただでさえ細い尾根の先に、こんな細工が施してあった〜 (写メ1)
…わかりますか?、細い尾根を更に削って、細い土橋になってます。ここは絶対に1列になります!
ここを、震える気持ちを押さえながら渡っている時に、前から矢や鉄砲で撃たれたら…逃げようが無い。撃たれるか、谷底へ落ちるか2つに1つの選択だ!!
いや、撃たれて落ちるという、もう1つの選択も有りか〜!
この他にも尾根上には、わざと蛇行させなから進ませる構造の削り方をしたような箇所もあり、山中にはキャーキャー♪言ってる落語家の声がこだましておったそうな♪
天ヶ岳は、本格的なトレッキング装備でないと危険な箇所も有り、一般の方にはオススメ出来る場所ではない。
実際僕も普段の格好で参加したので、前進を断念した場所もあった。
しかし、十分な装備と案内が有ったら。一見の価値のある素晴らしい城郭遺構だ。
帰りには土手和田砦にも少し寄ってもらったが、ここもL字型の堀に畝が施されている、ホント残りが良い〜♪
日を改めて、またユックリ行こう〜っと。
さぁ、一泊したら落語会かぁ〜。
…本来は、その為に伊豆の国市に来たんだろ!!バカ
〓春風亭昇太〓

春風亭昇太・天ヶ岳へ

2013年3月3日


さて伊豆の国市、韮山城調査同行レポート第二弾「天ヶ岳」である。
前記した韮山城の堀切の先に天ヶ岳が在る。
韮山の町にヒトデ(海の生き物だよ)のような形で尾根を伸ばしている、標高128メートルの山が天ヶ岳である。
この山頂部に天ヶ岳砦があり。そこから伸びるヒトデの足の先を、堀切で分断して、独立性を持った城郭として存在しているのが韮山城という訳だが、このヒトデの足の先にには韮山城以外にも「江川砦」「土手和田砦」「和田砦」がそれぞれ配置され、拠点である韮山城から見えない死角となる方面をサポートしている。
(写メ1・江川砦と天ヶ岳を分断している堀切。現在でも凄い堀切だが、当時はもっと深く、鋭かったハズだ!)
さて、いよいよ今回の調査で一番楽しみにしていた天ヶ岳だ!
こちらは、韮山城のようには整備されていないので、斜面をロープを頼りに進む。案内無しではちょっと不安になりそうな城跡だ。昔はこんな城跡ばかりで、よく行ったなぁ。
しかし…遺構は素晴らしい♪山が岩盤で出来ているために、普通の土の城と違い、土砂が流れにくいので残りが良い!
我々は天ヶ岳から伸びる細い尾根上を山頂に向かって進む。それは敵側の侵入ルートでもある。その先には尾根を断ち切る堀が待っていて、それが北条氏特有の畝堀になっているぞ!
(写メ2・堀切を上から見たところ。中央の木が邪魔だが、木の両サイドに、僅かに緑色に苔むした2本の畝が見えます)
どうだ!コレ!
…これは発掘や整備の結果ではない。400年前の人達の土木工事が、そのまま見られるのは驚くべき事だ!
そして、この先の尾根には、更に敵を阻む仕掛けが待っていた♪
…つづく

春風亭昇太・韮山城に

2013年2月12日


先日、伊豆の国市での公演があり、その前日に韮山城を見ませんかとお誘いがあり、喜んで参加させていただいた。
一行は伊豆の国市文化振興課の皆さんに、静岡古城研究会の望月さん。滋賀大学の中井均先生に僕。
韮山城は25年ぶりだ。まだ二つ目だったボクが師匠のお供で韮山の落語会に来た時に、合間を縫って行ったので、汗だくで韮山城を駆け回ったのを覚えている。
今回は、時間はたっぷりあるよ〜♪
先ずは、韮山城。
整備で木を伐採してくれているので、25年前とは雲泥の差の見やすさである。三ノ丸と権現曲輪の間を通るルートの虎口(城の出入口)は大きな枡形になっていて、凄い迫力だ!
三ノ丸は現在はテニスコート。隣接する韮山高校の学生さんだろうか。青春している!
韮山高校は「にらこう」と呼ばれている県内屈指の進学校であり、静岡で一番歴史のある公立高校。その昔は甲子園で優勝した事もある文武両道で、校章には北条家の家紋であるミツウロコがあしらわれているそうだ。格好イイぞ!
頭が良くて、学校が名城!なんて羨ましいんだ〜♪(校庭の発掘調査では、堀が見つかっている)
権現曲輪は神社の参道を造るために一部壊れているが、土塁がキレイに一周しているのが判る。
二ノ丸、本丸と良好に遺構が残っているが、圧巻だったのは本丸の先にある遺構。「塩蔵」と伝わっているが、煙硝蔵とも櫓台とも考えられるこの場所は何だったのだろう?それにしてもコの字形のキレイな土塁だ♪(写メ1)
一旦、城池と呼ばれる溜め池に側に出て、天ヶ岳に続く尾根方面に進むと、出てきた〜!
3ヶ所連続する巨大な堀切だぁ♪(写メ2がその1つ) その中の天ヶ岳側の堀切は、車が通る生活道路にもなっている。
この堀切で天ヶ岳方面とは完全に遮断され、韮山城は独立した城郭として、その機能を果たせるのだ。
久しぶりの訪城だが、良い整備が進んでいる。何と言っても特筆すべきは、その見やすさで、その一番の要因は木の伐採にある。
改めて史跡である山城を、ただの山にしない為に、木の伐採がいかに有効な手だてなのかを確認出来た韮山城見学だった。
次は、天ヶ岳だ〜
つづく♪
〓春風亭昇太〓

春風亭昇太・新庄城へ

2013年2月8日

昨夜は柳家花禄さんとの二人会が山形県新庄市でありました。
会場の市民文化会館に着いてから、高座やマイクのチェックを済ませてからすぐ隣の「新庄城」に行く。
隣といっても本丸が隣。という事で、会館も本来は新庄城城内である。
新庄城は新庄藩の居城。戊辰戦争では、当初は奥羽越列藩同盟に入っていたが、久保田藩(秋田)が新政府側に付くと、新庄藩も共に新政府側に…
怒った庄内藩に攻められて、新庄城は落城の憂き目に!
大きな時代のうねりの中では、小さな勢力は生き残りをかけて、大変な目にあうのは戦国時代も明治維新も同じですね〜
そんな、悲しい戦闘もあった新庄城にイザ出陣!
しかぁし。雪のため堀も土塁も、真っ白!(写メ・堀だよ♪)
雪に弱い、静岡県民は侵攻を断念して、あえなく退散いたしました。
さて。落城じゃなくて、落語会の方は、雪の中集まってくれた新庄のお客さんはノリノリで、喋っていても凄く楽しかったです。
独演会をやりたいくらい!
新庄の皆様。ありがとうございました♪
〓春風亭昇太〓

春風亭昇太・赤木城へ

2013年1月21日



NHK名古屋の取材で三重県熊野市にある「赤木城」へ行ってきた。(写メ1)
赤木城は、お城の本の縄張り図を見ながら、いつか行ってみたいなぁ〜。なんて思っていたた城の一つだが、今回念願叶い訪城♪
築城名人、藤堂高虎の築城と考えられ「天正の北山一揆」鎮圧や、この地方の豊富な木材資源の活用にかかわっていたようだ。
そんな、軍事、経済の拠点となった赤木城は、石垣で築かれ「主郭」を基点として「東郭」「西郭」がカニのハサミのような形で広がっている。
城の防御上一番重要な「虎口」(城の出入り口)は枡形虎口(写メ2)が何重も続く、複雑で堅固な守りで、当時ここに突然現れた石垣造りの「赤木城」を見た時のこの地の人達の驚きは、想像に難くない!
中世の城から、近世の城へ移行してゆく過程の、重要な資料となる貴重な史跡の 赤木城は地元の皆さんの努力によって整備され、大変に観やすい城跡でもある。
そして静かな里の岡に、整然と並ぶ石垣がなんとも言えない風情をかもしだしていて、とても美しい城だ。(写メ3)
行けて良かった〜♪
〓春風亭昇太〓

寄席出番変更

2013年1月18日

浅草演芸ホール、1月中席
19日、20日 の出番が両日共に、13時に変わりますよ。
お正月興行で、持ち時間は10分ほど、客席から「たっぷり!」なんて声がかかると、申し訳ない気分になります〜。
写メは、楽屋に出ていた、浅草の楽屋名物。
トリの師匠が入れてくれる(今回は歌丸師匠)セキネの肉まん。
前座の頃はは、これで飢えをしのいでいた思いでの味です。
〓春風亭昇太〓

似顔絵〜♪

2013年1月14日


先日、林家たい平くんの家に遊びに行ってきた。
たい平君とは、ずいぶん前から仲良くさせてもらっていて「冒険図鑑」という二人会を企画して、よくやったものだ。
今、2人共に「笑点」に出演し、地方のホールでの共演も多く、大事な仲間の一人です。
久しぶりに遊びに行ったら、3人の子供も大きくなっていてビックリ。
奥さんの手料理と、お酒をご馳走になりながら、一番下の子に似顔絵を描いてもらったのが、コレ…(写メ1)
どんなイメージなんだよ♪
さらに、こんなのも?(写メ2)
イメージにあわせるのて写真撮るのが大変だよ!
〓春風亭昇太〓

[ 寄席の上がり時間 ]

2013年1月9日
明日、変更があります。
1/9(水)14:15上がり(末広亭)/15:10上がり(池袋)
1/10(木)12:10上がり(池袋)/13:10上がり(末広亭)
二之席 1/11〜20
14:30上がり(浅草)
※12(土)、15(火)、19(土)、20(日)時間変更ありますが、只今調整中でまた後日のせますね〜♪。

2012 年。ありがとう

2012年12月31日

大晦日、皆さん如何お過ごしでしょうか。
ボクは今、春風亭柳好さんとお寿司屋さんで一杯やってます。
今年はホントに好きな事ばかりやってました。
幸せな一年でしたが、身体の管理がいかに大切かを思い知らされた年でした。
喉の痛みで三鷹の独演会を中止したのは痛恨の経験です。本当に申し訳ない事をしてしまいました。
体調管理と好きな事の両立が来年のテーマです。
ホントに一年、ありがとうございました。新しい年もよろしくお願いいたします♪
ありがとう〜。アディオスアミーゴ♪

誕生日

2012年12月20日

12月9日は、僕の誕生日。
誕生日なんて、どうでもいいと思ってるし、祝ってもこなかったんだけど、お客さんからプレゼントをいただいたり。お友達が祝ってくれたり…
ありがたいなぁ〜♪
どんどん、じい様になっていく訳だが、毎日楽しいので、今のところ歳をとるのも全然嫌じゃない。
また一年、おバカに程よく頑張ります。
皆さん、ありがとうございました〜
〓春風亭昇太〓

春風亭昇太・一乗谷に

2012年12月16日


お城番組の取材で、福井県の「一乗谷朝倉氏遺跡」に行ってきた♪
守護大名「斯波氏」を下剋上し、一向一揆を撃退して、この地を納めたのが「朝倉氏」
そしてこの一乗谷はその首都である。
山と山とに挟まれた谷の前後を土塁と石垣の「上城戸」「下城戸」でシャットアウトして、中心に館。山の上に城。城下町は館の周りから城戸の外側にも広がり、そこを囲むように幾つもの城で防御した要塞都市だ。
織田信長によって滅ぼされて、その後信長は越前国の中心を北ノ庄(福井市)に移した為、戦国大名の館。城。城下町の遺跡がセットで奇跡的に残っている大変に貴重な史跡。
城下町の跡には町並みが復元され、中世の街をブラつく事が出来るという、夢のような場所だ。
写メ1は「朝倉義景館」(唐門は江戸時代のもの)
ここは、本当に美しい。館の中に入ると、礎石が並び往時に建っていた屋敷を思い浮かべるだけでウットリしてくる。
写メ2は雪化粧の庭。越前の覇者の雅な一面を垣間見る事が出来ますね〜♪
今回は雪の為に一乗谷城に登る事が出来なかったが、また行けばいいや〜♪
〓春風亭昇太〓