4号のわがまま
4号こと春風亭昇太は、柳家花禄さんと愛知県幸田町に2人会に行って来ました。
あまり落語会をやっていない会場らしいのですが、お客さまのノリが良く。こちらが乗せられて、楽しくできました。
皆様、ありがとうございました~。
さて、三河安城から車で幸田に向かったんですが、わがままを言って安城市の「本證寺」(ほんしょうじ)に寄ってもらいました。
本證寺はお寺なんですが、一向一揆の拠点として、徳川家康と対抗した堀や土塁を巡らせた、城郭伽藍のお寺、早い話がお寺という名のお城でした。
写メは鼓楼と内堀と、にやける俺です。
これは江戸時代の改修なんですが、戦国大名とも、まともに対抗する一大勢力、一向宗のパワーが偲ばれます。
写メ2
現存の本證寺さんは、現代の穏やかな寺院。門前の、有り難いお言葉が、落語会の前に、わがまま言った私の胸に、染み入ります~反省。
Re: 追伸
四号播磨の国その2
四号こと春風亭昇太は、姫路城を見た明くる日、次の目的の「置 塩城」(おじおじょう、おきしおじょう、といくつか呼び方がある ようです)に向かったんじゃ。置塩城は播磨守護、赤松氏の居城
で、現在は国指定史跡になっております。
姫路の街から、車で20分程走った程度なのに、イメージ的には、静 かな山里といった風情のある、姫路市夢前町に「置塩城」があります。
たとえ国指定史跡でも、観光地って訳では無いので、タクシーの 運転手さんに「置塩城」言って下さい「あいよっ」ってわけにはい きません。運転手さん携帯で、誰かとゴニョゴニョ話した後「息子
の嫁が、そこの出だから聞いて、わかりましたよ」と言って連れて 行ってくれた。
置塩城登山口と書かれた石碑を見ながら、幾重にも折れる細い山 道をヒーヒー言いながら、汗だくで登り。ようやく遺構が確認出来 る場所の「南曲輪群」に出る。かまぼこ形のスペースが何段か重
なって下に広がっている。(全然イメージ出来ないでしょ、すみま せん)何だか嬉しくなって、さらに登ると、茶室跡、二の丸、三の 丸、台所跡、本丸と次々に遺構が続く。…しかし、この山の上で、
お茶をたしなんでいたなんて、当時の武家の雅な一面が感じられて素敵。
4号播磨の国へ
目的は兵庫県姫路市にある国宝、姫路城じゃ。
姫路城は今年の秋から、大修理に入るので、どこかにシートの貼ってない姫路城を見るためには、今しかない。つー事で、姫路まで遠征に来たという訳じゃ。
姫路城に来たのは二回目、前回は大学生のころだから、30年振りという事になる。
いやいや、普段こうした近世城郭はあまり行かないんだけど、これだけ天守閣、櫓、石垣、堀とトータルで残っていると、素晴らしいね~。
特に石垣は、東日本の城には見られない高さで、アッパレ!
大戦中の空襲で焼けなければ、名古屋城も世界遺産級だったのに、惜しい。
夜は、刺身や穴子を食べて殿様気分。でも、こんなもんで終わったと思うな!播磨の国の名城が、俺を呼んでいるんだよ!
4号柏市にて
4号こと春風亭昇太は、本日、柏市のアミュズ柏で落語会。
実は、千葉県は中世城郭の宝庫。柏市、松戸市,我孫子市と都内からも近い街にも、城址が山盛り。
ホールの近くにも「増尾城址公園」があります。ワクワクしながら柏に行ったんだけど。マネージャーが訪城の事をすっかり忘れて迎えに来たので、見る時間が全くなく、とにかく行くだけ行ったけど、あんなに城跡で走った事はなかった! まさに城攻めの足軽だ!
小ぶりだが、中世城郭の雰囲気たっぷりの増尾城は、2郭を一周する土塁が素敵♪櫓台もしっかり残っていて、格好良かったけど、開演時間との戦いで、もっとゆっくり見たかったなぁ~
写メは、土塁前の案内板と、疲れている4号です。
4号島根県に
昨日、島根県に入った4号事春風亭昇太は、吉賀町で一席やった。会場が体育館という事もあり,不安だったが、いいお客様に助けられて、無事に終演。
今日は朝から益田市にある七尾城に行った。
石川県に上杉謙信に攻められた有名な城があるが、こちらの島根県の「石見 七尾城」は。この地の有力豪族、益田氏の本拠地です。小雨の中、なんとか本丸にはたどり着きましたが、足元が滑りやすく、急斜面が怖くて、他の細かい遺構には辿り着けませんでした。でも、かえって山城の迫力は感じられました。
帰りは、益田市歴史民俗資料館に寄り、「三宅御土居」(益田氏の屋敷跡)に寄って帰りましたとさ。
興味の無い人には、バカみたい~~って感じの午前中でした。
4号、都於郡城に!
朝、5時30分に目が覚めたのは、余が爺さんになったからではない。興奮して起きてしまったのじゃ。
7時に朝食をすませて、タクシーで向かったのは日向国伊東氏の居城「都於郡城」(とのこおり城)だ。中心部が、本丸、二の丸、三の丸、西の城、奥の城の五郭からなる大きな城なのじゃぞ。
特に見たかったのは二の丸に現存する土塁でのぉ(写メ)4~500前の城の土塁は、だいたいが風化して、小さくなってしまっているものが多い中、見よ。この2m以上の高さで長く延びている見事さを…ナニ、よく判らぬ!そのような者達は手打ちじゃ!うつけ者めが!
他にも、各部所が深い堀切で区切られて、独立性が高く、関東の城のような技巧性は感じられないが、ダイナミックで、あっぱれじゃ。
また、ここは。遣欧少年使節の伊東マンショ誕生の地でもある、ワシとマンショのツーショットも見るがよい!
かくして、ワシの二時間半に及ぶ、中世妄想旅行はおしまい。さて、ホテルに戻ってシャワー浴びたら、都城市に行って、もう一仕事じゃ。馬引け~ぃ。