ザブトン海峡・航海記

4号足軽デビュー

2011年10月3日

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足軽の装束完成〜♪

そして、そのデビューが、中世城郭ファン憧れの滋賀県米原市の「鎌刃城」

第二回「春風亭昇太のおも城噺」のイベントで、こんな格好になりました(写メ1)

鎌刃城は石垣を多用した山城です。門の跡も、こんなに立派な石で出来ていますよ(写メ2)

前回トライした時は雨で断念。今回はイベントだったので、細かく見る事が出来ず、また行かなくちゃ。


4号足軽計画 最終章

2011年10月1日

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さぁ、大変だ。足軽計画最終章〜。

秋葉原に行って買ってきた足軽の陣笠に、脇差。(写メ1)

この黒い脇差の鞘を、赤と焦げ茶に塗って、迫力を出してみた♪(写メ2)

友達に頼んでいた陣羽織が届いたので(写メ3)これに赤の横一文字に線を入れます。下に装着している黒に赤真一文字と赤線を合わせて、カッコ良くなるはずだ!?

甲冑下着は、名古屋の大須で1980円で安い作務衣を買い、作務衣の上着の袖を裏から縫って細くして、甲冑下着の代わり。

下はお祭りに使うような股引きを購入した♪

かくして、足軽計画は無事終了。

明日、米原市の鎌刃城イベントデビューに、なんとかセーフ!

4号足軽具足姿は、明日お見せしますぜ!


4号足軽計画 7

2011年9月30日

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足軽計画は急ピッチ!

山梨の、ざぶとん亭の馬場さんからいただいた(馬場さんは、武田家の築城名人、馬場美濃守の流れをくむ子孫だ〜)手甲、脚絆に厚めの塩化ビニールを細く切って、糸で付けてみた。

おー!なんかイイ感じだぞ♪

4号塚越館へ

2011年9月24日

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4号こと春風亭昇太は昨日、林家たい平くんとの二人会で埼玉県坂戸市に行ってきた。最近この組み合わせが多いなぁ〜。

 会が終わって、そのまま帰宅も味気ない。この辺りは中世の館が多い地域で、会場から近い「塚越館」に行ってきた。

館跡に近い住吉中学校を目指し、その西側にある塚越館の土塁を発見!(写メ)

 竹やぶで判りにくいと思いますが、高さ2mほどの土塁が200m位の長さで延びていて、なかなか立派です。土塁の手前は堀の跡ですね〜。これも判りにくいか

 館の歴史人については、資料が無くて不明な事だらけ、しかし、かなりの規模の館なので、ある程度の勢力のあった人が築いた館なのだろう。

 坂戸市は池袋からも小一時間。ベッドタウンとしても市街地化が進んでいて、こうした史跡指定のない多くの城館が開発の波に消えているという。

 地権者の方の御理解で、なるべく多くの史跡が残る事を願うばかりだ。

「城あるきのススメ」増刷

2011年9月16日

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凄い。4号こと春風亭昇太著の「城あるきのススメ」(小学館)の増刷が決定!

番組なんかに出ると、バカにされてた(そういうキャラだからね)「城あるきのススメ」ですが実は、城マニアからも、そうでない方達からも、案外と評判が良くて、この度〜♪増刷という事になりました。

 

買っていただきました皆さんありがとうございます♪皆さんのおかげです。

そして、今さらの報告ですが、活字中毒の皆さんから絶大な支持かある「本の雑誌」6月号の、新刊めったくたガイドで「内田剛」さんに、今月の掘り出し物とホメていただいておりましたよ。

いゃあ〜。増刷って、嬉しいなあ〜♪

書いた実感湧くな〜、増刷って♪

4号足軽化計画 6

2011年9月12日

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4号こと春風亭昇太の足軽化計画の「胴」の部の制作は最終段階。

塗装した胴に、使い捨てブラシの柄で作ったコハゼを付けて、紐を通した肩当てをジョイントするとこんな感じ。(写メ1)

ちなみに胴とコハゼを結んでいる赤い紐は紙袋に付いていた持ち手のヒモです。(写メ2)…エコ〜♪


4号足軽計画 5

2011年9月8日

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4号こと春風亭昇太は徐々に足軽化しています。

胴は紐で装着しようと思ってましたが、何だか味気ないので肩当てを作って、見栄えを良くしようと思い、肩当てを制作。

アクリル板を芯にして布で包む。(布は着物の余り布。赤黒が基本の色調なので、赤い長襦袢の布を利用しました)

ここに、黒い皮を貼って肩当てを二枚造ります!(写メ1)

さらに、これに穴を開けて紐を通して、先日使い捨てブラシの柄で作った「こはぜ」を引っかける輪を作って、完成!(写メ2)

 黒に赤が渋いかなと思って作ってるんだけど、何だかだんだん可愛くなってきてるぞ?

4号 日向国城めぐり

2011年9月6日

110906.jpg4号こと春風亭昇太は延岡落語・一八会主催の、独演会で延岡市に行ってきました。

お誘いの殺し文句「お城を案内しますから…」ということで、宮崎空港に迎えに来ていただいて、そのまま「高鍋城」「高城」「延岡城」と日向の国の城めぐり♪。

「高鍋城」下が近世のお城、そのまま後ろの山に登れば中世城郭!面白かった。
「高城」は何万という大軍をしても落ちなかった堅固な城

んで写メは「延岡城」の
一つ石垣を外すと、石垣が崩れて、いっぺんに千人殺せるという言い伝えがある「千人殺し」の石垣!

しかし、石垣を抜いた奴が一番最初に死にますね。

独演会は、ノリのいいお客様で気持ち良く出来ました♪
延岡の皆さん、ありがとうございました!!

4号足軽計画 4

2011年9月2日

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4号こと春風亭昇太は、足軽への道を少しずつ歩んでおります。

今回は、胴と肩当を繋ぐジョイント部の器具(名称が、わからない)を作成した。(写メ1)

ジョイント部だけに丈夫な素材が必要だったが、中央に紐を通す穴を2つ開けないといけないので、材料探しに苦労した。

木を使ったら、割れてしまい。竹は加工が難しい…
高座前に髪を整えていたら、あっ。これだ!ってモノ見っけ♪(写メ2)

そう。ホテル等にある使い捨てのブラシの柄…
偉いぞ!!良く見つけたなオレ!

4号足軽計画 3

2011年8月29日

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春風亭昇太の足軽計画は順調!

さて、スプレーで表面を綺麗にした胴だが、ただ黒いだけだと面白味が無い。

足軽具足は、戦いの中でも所属している部隊が判るように、胴に家紋や文字、模様が描かれている事が多いからだ。

様々な領主が築いた城に行く事を考えると、特定の家中の家紋は付けづらい。クラゲの紋ではふざけ過ぎる。何か模様をと考えていたら「図説・戦国甲冑集」の中に黒い胴の中央に、赤く真一文字に塗られた胴を見つけた(写メ1)「家中不明」とのこと。

これだ!と思って胴にマスキングをして下地を塗ってから、赤のスプレーを吹き掛け(写メ2)乾いてからマスキングを取ると、胴の着色が完成!

 なかなかカッコイイぞ!(写メ3)♪

4号足軽計画 2

2011年8月25日

110825.jpg 4号こと春風亭昇太の足軽計画の足軽完成イメージになるのが「図説・戦国甲冑集」という本に出ている足軽具足の写真。(写メ)

足軽具足に陣笠。腰の刀の鞘は黒赤で、簡素ながら陣羽織も着用して、カッコイイ~♪

有名武将の立派な甲冑よりも、こんな足軽姿が大好きだ!

この姿を基本として、オリジナルなオレスタイルの足軽を目指しますよ~。

4号足軽計画 1

2011年8月24日

110824.jpg 4号こと春風亭昇太は「城あるきのススメ」を書いてから、お城イベントに呼ばれることが多くなった。

イベントの内容は、だいたいこんな感じだ。

1、参加者の皆さんと一緒にワイワイお城に行く。

2、主郭(本丸)で一緒にワイワイお弁当を食べる。

3、降りてから、城郭研究者や学芸員の方達と、ワイワイお城トーク♪

僕が知っている事は説明したり。知らない事を教えて頂いたりで、とても楽しいのだが、今までは普通の格好で登城していたのだが、佐和山城に登った時に「甲冑隊」の皆さんが一緒に登り、それを見て羨ましかったのと、ビジュアル的にもっと参加者の皆さんにサービスして喜んでいただきたい!という事で、イベントの時に足軽になる事を決意しました。

まずは足軽具足♪
ネットで、こんなの見つけて落としてもらいました。(写メ)

これは、胴体の前面だけを守れる簡素なもの(現代に作られたモノだよ)。後ろから刺されたら?…知~らない。って、いかにも足軽ってだ。

表面や裏側が傷んでたのでアクリル塗料のスプレーで補修しました。

これから、色々集めたり作ったりして、足軽に変身する過程を、ちょっとずつアップしますね♪

4号増山城へ

2011年7月11日

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4号こと春風亭昇太は「山城歩きのススメ・落語会と山城トークライブ」ということで、富山県砺波市に行ってきました。

まずは、この砺波市にある、富山県を代表する山城「増山城」に出かけた「曲輪の会」の皆さんのガイドでの見学だが、さすがに国指定史跡だけあって、見応え十分!各曲輪も広くて、その「切岸(きりぎし)(人工的に山の斜面を削って急峻にした城壁)は、真下から見上げると、垂直じゃないか!と思うほどの急角度で、お見事!(写メ)どうよ。このおじさんの横にそそり立つ切岸の角度と、高さ!

増山城の出城と考えられる「亀山城」も見学して大満足だぁ

夜は、落語会とトークライブ。ラジオパーソナリティー・たなべまさきさんの司会で、文化財学芸員の野原さんとトーク!

満席の「出町子供歌舞伎曳山会館」のお客様のノリも良く。予定時間をオーバーしての楽しい会でした。

いゃあ。それにしても増山城は、いつもお世話になっている、城郭研究者の中井均先生が著者「都道府県別・日本の名城ベスト10」の中で富山県ナンバー1 にしているだけあって、見事なお城でした

暑かったけどね~。

ちなみに、午前中は砺波市の「隠尾館」(かくりょうやかた)も見学。ここも渋かった

4号志苔館へ

2011年6月17日

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4号こと春風亭昇太は、先日終演をした「伊東四朗一座」公演の稽古中に、ラサール石井さんから

「お寿司食べに行かない?」と誘われて

「行きましょうよ、どこの寿司屋ですか?」と聞いたら

「函館」と言われた!?

稽古休みの日を使って、函館へゴー!

稽古終わりで、羽田から千歳空港へ行き、札幌で居酒屋に入って、乾杯~

一泊して、朝から函館に移動して、ゴルフで汗を流して、夜は寿司屋!わざわざ東京から行くだけあって、旨い、美味い。お酒呑んで鮨食べて、温泉入って、極楽~。ハッピーに帰京な訳ない!

函館に来たんだから、あそこに行かなきゃという訳で飛行機に乗る前に寄ったのが「志苔館」(しのりたて)

「志苔館」は室町時代に北海道に進出(侵入?)した倭人の前線基地みたいな城で「コシャマインの乱」では武装蜂起したアイヌの軍に攻め落とされている。

丘の上に、方形の土塁で囲み、入り口の門の前は、二重の空堀(写メ)で防御されているこの城は、きれいに整備され、目の前に広がる津軽海峡から吹いてくる風が気持ちいい

函館空港の、滑走路を隔てた反対側にあるので、離着陸の時に、飛行機の窓から眼下に見てはいたが、やっぱり実際に行ってみるとイイなぁ~。

4号佐和山城へ

2011年5月20日

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先日、4号こと春風亭昇太は、滋賀県にある佐和山城でイベントがあり、行ってまいりました。

「治部少(石田三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近に佐和山の城」と歌われた、当時の近江国(滋賀県)を代表する城で、一度は行きたいと思っていた城だ。

イベント前日に下見をかねて行った。主郭周辺しかまだ整備されていないので、竹林を掻き分け掻き分け、曲輪を探索。

昔はよく、こんなふうに山城を見に行ったものだが、最近はさすがにオッサンなので、こんなお城の見方は久しぶりだ。

かくして、山中四時間。放射線状に拡がる尾根にある佐和山城の遺構を見て回って、楽しかった~

一泊して朝から、参加者の皆さんと一緒に、佐和山城に途城。本丸で、城郭研究者の中井均先生とトークショーしましたとさ

ホテルには「彦にゃん」もいたよ


4号岩殿城に

2011年5月4日

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4号こと春風亭昇太は、先日「笑点」の先輩であり、我が落語芸術協会の副会長、三遊亭小遊三師匠の故郷、山梨県大月市に行ってきた。

小遊三師匠の落語会のゲスト出演だ。

ホールに到着すると、目の前には、山全体が石じゃないか!ってくらいの巨大な岩がむき出しの山。

そう、ここが甲斐・小山田氏の岩殿城だ!(写メ)

開演前の時間を使って、城攻めじゃ。整備がしてあるので登りやすいが、何しろ延々と続くつづら折りの急勾配~

岩殿城は三度目だけど、年齢を感じるなぁ~。

それでも、見晴らしが良くって素晴らしい景色が広がっている。富士山もキレイだよ。

山の上は、簡素な縄張り。ココに上がって来るまでが大変なんで、山頂部には手の込んだ縄張りは、必要としなかったんだろうなぁ~。

写メ2は主郭手前の「狼煙台」えっ?判りにくい確かに

で、帽子被ってないでしょ。お気に入りの帽子をどこかに落としちゃったよ~ガックシ!

必死に下って、開演にセーフ。大月のお客様、ありがとうございました。


4号国吉城に

2011年4月5日

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4号こと春風亭昇太は、福井県敦賀市で「敦賀落語会」に大阪の桂あやめさんと一緒に出演した。

ここ数日、長崎、大阪、福井県と西の仕事が続いていたが、地震の影響が少ない西日本は、街やお客様も明るくて、何だかこちらもホッとする。

そして昨日、福井県と滋賀県にまたがる名城「玄蕃尾城」に行く予定だったのだが、山は雪で断念!

急遽美浜町にある「国吉城」に連れて行ってもらった。

国吉城は粟屋勝久が越前朝倉氏の軍勢を数年にわたって守り通した「国吉籠城戦」の舞台だ。

山の麓には「若狭国吉城歴史資料館」があり資料や模型で国吉城の歴史を知ることが出来る。

発掘中の屋敷跡を左に見ながら、落語会の世話役の皆さんと登城!

巨大な土塁や、堀切、崩落した石垣籠城戦の時に、朝倉兵に投げつけるために集められたという石仏が本丸に置いてある(写メ)

ここは、織田信長の、朝倉攻めの基点にもなったので、信長、秀吉ともに、この城にも入城したという。もしかしたら、同じ場所に立っていたかも知れない久しぶりの山城は、歴史ロマン満載だ。

あー楽しかった!早くこんなふうに、日本中どこの城にも、訪れる日が来られるようになればいいなと。心から思った国吉城でした。


4号永田城へ

2011年2月26日

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秩父のお城、第二弾「永田城」だ。

「金仙寺城」を見終わって、時間を見ると、まだ少しだけ時間が有ったので、近くにある「永田城」へ車を向ける。

秩父二十二番札所・永福寺がある場所が城跡になっている。小さな橋を渡ってすぐ右手にある墓地の先に、明確な遺構が残っています。

堀と土塁が一直線に続いて、城の内と外を遮断しています。ここの堀には竹が寝かせてないんからホラ!こんなに判りやすいですよ。

ボクは、歴史がなんともいえずリアルに感じられるので、こおいう小さな城館が、好きなんだなぁ〜。

4号金仙寺城へ

2011年2月24日

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4号こと春風亭昇太は、先日、日本テレビ「波乱爆笑」のロケで林家たい平君の故郷、埼玉県秩父市に行った。

そして、当然その前に行ってきたのが、ロケの集合場所、西武秩父駅に程近い「金仙寺城」

金仙寺という、立派なお寺の裏にある荒川と、その支流に挟まれた一方を、堀と土塁で遮断して生まれた、三角地帯が「金仙寺城」だ。

下調べによると、土塁に迫る敵に「横矢」(文字どおり、横からの攻撃)が掛けられるように、土塁に張り出しが見られ、幅も深さも立派な堀が見られるハズだったそう、ハズだったのだが張り出しは見られたが、辺りに生えていた、竹を伐採した時、この竹の置き場として、堀がちょうどイイと思ったのだろう、この堀の窪みに竹が山積みにされて、堀が見えない〜!

その一段下にある2の郭の方が、堀が見やすかったよ。

(写メ1 指差している所が土塁、その下の竹が寝てるトコが堀でしゅ〜)

まぁ、私有地だろうから、崩さないだけでも、有難いというものですでも出来たら〜

林家たい平君の証言では、昔はここに池だか沼が有って、よく遊んだと言っていた。水堀だったのかな?

本を書いていたので、久しぶりのお城ブログだ。

また更新します〜。

4号長谷堂城へ

2010年11月16日

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4号こと、春風亭昇太は先日「山辺どんぶり亭」の皆さんに呼んでいただいて、山形での独演会を、やってきました。

どんぶり亭からの、出演依頼の殺し文句は「是非また来て下さい。お城を案内しますから」だ。

当然「こちらこそ、是非」だ。以前「畑谷城」に連れて行ってもらったが、今回は「長谷堂城」

「長谷堂城」はドラマ「天地人」で一躍有名になった「直江兼継」が「最上氏」を攻めた時の標的になった城で「天地人」の頃は随分お客様が来ていたらしい。

町役場の三浦さんの案内で、見学〜♪

縄張りは、わりと単純で大人数でないと、守れなさそうな感じの城だが「切岸」(人工的に作った、城壁の斜面)が立派ですよ。写メの段々になってる斜面が解るかな?

「主郭」の入口は「桝形虎口」になってます。そして、その虎口の外側を包むように「土塁」の残存らしき物があり。三浦さんに「これ、虎口の外側に、もう1つ土塁が有ったんじゃないですか?」と言うと「あっ。そうかも知れませんね〜」との事。写メで、解るかなぁ〜?

わからない!って人は、それがしのメモ書きを御覧下され♪

この遺構は、色々な城図をみても、のってなかったので、もしかしたら新たな遺構発見かぁ〜。

な〜んてね。色々と想像したり出来るところも、中世城郭の面白いところでやんす。