ザブトン海峡・航海記

サブトン海峡・航海記

4号足軽計画 4

2011年9月2日

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4号こと春風亭昇太は、足軽への道を少しずつ歩んでおります。

今回は、胴と肩当を繋ぐジョイント部の器具(名称が、わからない)を作成した。(写メ1)

ジョイント部だけに丈夫な素材が必要だったが、中央に紐を通す穴を2つ開けないといけないので、材料探しに苦労した。

木を使ったら、割れてしまい。竹は加工が難しい…
高座前に髪を整えていたら、あっ。これだ!ってモノ見っけ♪(写メ2)

そう。ホテル等にある使い捨てのブラシの柄…
偉いぞ!!良く見つけたなオレ!

4号足軽計画 3

2011年8月29日

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春風亭昇太の足軽計画は順調!

さて、スプレーで表面を綺麗にした胴だが、ただ黒いだけだと面白味が無い。

足軽具足は、戦いの中でも所属している部隊が判るように、胴に家紋や文字、模様が描かれている事が多いからだ。

様々な領主が築いた城に行く事を考えると、特定の家中の家紋は付けづらい。クラゲの紋ではふざけ過ぎる。何か模様をと考えていたら「図説・戦国甲冑集」の中に黒い胴の中央に、赤く真一文字に塗られた胴を見つけた(写メ1)「家中不明」とのこと。

これだ!と思って胴にマスキングをして下地を塗ってから、赤のスプレーを吹き掛け(写メ2)乾いてからマスキングを取ると、胴の着色が完成!

 なかなかカッコイイぞ!(写メ3)♪

4号足軽計画 2

2011年8月25日

110825.jpg 4号こと春風亭昇太の足軽計画の足軽完成イメージになるのが「図説・戦国甲冑集」という本に出ている足軽具足の写真。(写メ)

足軽具足に陣笠。腰の刀の鞘は黒赤で、簡素ながら陣羽織も着用して、カッコイイ~♪

有名武将の立派な甲冑よりも、こんな足軽姿が大好きだ!

この姿を基本として、オリジナルなオレスタイルの足軽を目指しますよ~。

4号足軽計画 1

2011年8月24日

110824.jpg 4号こと春風亭昇太は「城あるきのススメ」を書いてから、お城イベントに呼ばれることが多くなった。

イベントの内容は、だいたいこんな感じだ。

1、参加者の皆さんと一緒にワイワイお城に行く。

2、主郭(本丸)で一緒にワイワイお弁当を食べる。

3、降りてから、城郭研究者や学芸員の方達と、ワイワイお城トーク♪

僕が知っている事は説明したり。知らない事を教えて頂いたりで、とても楽しいのだが、今までは普通の格好で登城していたのだが、佐和山城に登った時に「甲冑隊」の皆さんが一緒に登り、それを見て羨ましかったのと、ビジュアル的にもっと参加者の皆さんにサービスして喜んでいただきたい!という事で、イベントの時に足軽になる事を決意しました。

まずは足軽具足♪
ネットで、こんなの見つけて落としてもらいました。(写メ)

これは、胴体の前面だけを守れる簡素なもの(現代に作られたモノだよ)。後ろから刺されたら?…知~らない。って、いかにも足軽ってだ。

表面や裏側が傷んでたのでアクリル塗料のスプレーで補修しました。

これから、色々集めたり作ったりして、足軽に変身する過程を、ちょっとずつアップしますね♪

4号増山城へ

2011年7月11日

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4号こと春風亭昇太は「山城歩きのススメ・落語会と山城トークライブ」ということで、富山県砺波市に行ってきました。

まずは、この砺波市にある、富山県を代表する山城「増山城」に出かけた「曲輪の会」の皆さんのガイドでの見学だが、さすがに国指定史跡だけあって、見応え十分!各曲輪も広くて、その「切岸(きりぎし)(人工的に山の斜面を削って急峻にした城壁)は、真下から見上げると、垂直じゃないか!と思うほどの急角度で、お見事!(写メ)どうよ。このおじさんの横にそそり立つ切岸の角度と、高さ!

増山城の出城と考えられる「亀山城」も見学して大満足だぁ

夜は、落語会とトークライブ。ラジオパーソナリティー・たなべまさきさんの司会で、文化財学芸員の野原さんとトーク!

満席の「出町子供歌舞伎曳山会館」のお客様のノリも良く。予定時間をオーバーしての楽しい会でした。

いゃあ。それにしても増山城は、いつもお世話になっている、城郭研究者の中井均先生が著者「都道府県別・日本の名城ベスト10」の中で富山県ナンバー1 にしているだけあって、見事なお城でした

暑かったけどね~。

ちなみに、午前中は砺波市の「隠尾館」(かくりょうやかた)も見学。ここも渋かった

4号志苔館へ

2011年6月17日

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4号こと春風亭昇太は、先日終演をした「伊東四朗一座」公演の稽古中に、ラサール石井さんから

「お寿司食べに行かない?」と誘われて

「行きましょうよ、どこの寿司屋ですか?」と聞いたら

「函館」と言われた!?

稽古休みの日を使って、函館へゴー!

稽古終わりで、羽田から千歳空港へ行き、札幌で居酒屋に入って、乾杯~

一泊して、朝から函館に移動して、ゴルフで汗を流して、夜は寿司屋!わざわざ東京から行くだけあって、旨い、美味い。お酒呑んで鮨食べて、温泉入って、極楽~。ハッピーに帰京な訳ない!

函館に来たんだから、あそこに行かなきゃという訳で飛行機に乗る前に寄ったのが「志苔館」(しのりたて)

「志苔館」は室町時代に北海道に進出(侵入?)した倭人の前線基地みたいな城で「コシャマインの乱」では武装蜂起したアイヌの軍に攻め落とされている。

丘の上に、方形の土塁で囲み、入り口の門の前は、二重の空堀(写メ)で防御されているこの城は、きれいに整備され、目の前に広がる津軽海峡から吹いてくる風が気持ちいい

函館空港の、滑走路を隔てた反対側にあるので、離着陸の時に、飛行機の窓から眼下に見てはいたが、やっぱり実際に行ってみるとイイなぁ~。

4号佐和山城へ

2011年5月20日

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先日、4号こと春風亭昇太は、滋賀県にある佐和山城でイベントがあり、行ってまいりました。

「治部少(石田三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近に佐和山の城」と歌われた、当時の近江国(滋賀県)を代表する城で、一度は行きたいと思っていた城だ。

イベント前日に下見をかねて行った。主郭周辺しかまだ整備されていないので、竹林を掻き分け掻き分け、曲輪を探索。

昔はよく、こんなふうに山城を見に行ったものだが、最近はさすがにオッサンなので、こんなお城の見方は久しぶりだ。

かくして、山中四時間。放射線状に拡がる尾根にある佐和山城の遺構を見て回って、楽しかった~

一泊して朝から、参加者の皆さんと一緒に、佐和山城に途城。本丸で、城郭研究者の中井均先生とトークショーしましたとさ

ホテルには「彦にゃん」もいたよ


4号岩殿城に

2011年5月4日

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4号こと春風亭昇太は、先日「笑点」の先輩であり、我が落語芸術協会の副会長、三遊亭小遊三師匠の故郷、山梨県大月市に行ってきた。

小遊三師匠の落語会のゲスト出演だ。

ホールに到着すると、目の前には、山全体が石じゃないか!ってくらいの巨大な岩がむき出しの山。

そう、ここが甲斐・小山田氏の岩殿城だ!(写メ)

開演前の時間を使って、城攻めじゃ。整備がしてあるので登りやすいが、何しろ延々と続くつづら折りの急勾配~

岩殿城は三度目だけど、年齢を感じるなぁ~。

それでも、見晴らしが良くって素晴らしい景色が広がっている。富士山もキレイだよ。

山の上は、簡素な縄張り。ココに上がって来るまでが大変なんで、山頂部には手の込んだ縄張りは、必要としなかったんだろうなぁ~。

写メ2は主郭手前の「狼煙台」えっ?判りにくい確かに

で、帽子被ってないでしょ。お気に入りの帽子をどこかに落としちゃったよ~ガックシ!

必死に下って、開演にセーフ。大月のお客様、ありがとうございました。


4号国吉城に

2011年4月5日

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4号こと春風亭昇太は、福井県敦賀市で「敦賀落語会」に大阪の桂あやめさんと一緒に出演した。

ここ数日、長崎、大阪、福井県と西の仕事が続いていたが、地震の影響が少ない西日本は、街やお客様も明るくて、何だかこちらもホッとする。

そして昨日、福井県と滋賀県にまたがる名城「玄蕃尾城」に行く予定だったのだが、山は雪で断念!

急遽美浜町にある「国吉城」に連れて行ってもらった。

国吉城は粟屋勝久が越前朝倉氏の軍勢を数年にわたって守り通した「国吉籠城戦」の舞台だ。

山の麓には「若狭国吉城歴史資料館」があり資料や模型で国吉城の歴史を知ることが出来る。

発掘中の屋敷跡を左に見ながら、落語会の世話役の皆さんと登城!

巨大な土塁や、堀切、崩落した石垣籠城戦の時に、朝倉兵に投げつけるために集められたという石仏が本丸に置いてある(写メ)

ここは、織田信長の、朝倉攻めの基点にもなったので、信長、秀吉ともに、この城にも入城したという。もしかしたら、同じ場所に立っていたかも知れない久しぶりの山城は、歴史ロマン満載だ。

あー楽しかった!早くこんなふうに、日本中どこの城にも、訪れる日が来られるようになればいいなと。心から思った国吉城でした。


4号永田城へ

2011年2月26日

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秩父のお城、第二弾「永田城」だ。

「金仙寺城」を見終わって、時間を見ると、まだ少しだけ時間が有ったので、近くにある「永田城」へ車を向ける。

秩父二十二番札所・永福寺がある場所が城跡になっている。小さな橋を渡ってすぐ右手にある墓地の先に、明確な遺構が残っています。

堀と土塁が一直線に続いて、城の内と外を遮断しています。ここの堀には竹が寝かせてないんからホラ!こんなに判りやすいですよ。

ボクは、歴史がなんともいえずリアルに感じられるので、こおいう小さな城館が、好きなんだなぁ〜。

4号金仙寺城へ

2011年2月24日

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4号こと春風亭昇太は、先日、日本テレビ「波乱爆笑」のロケで林家たい平君の故郷、埼玉県秩父市に行った。

そして、当然その前に行ってきたのが、ロケの集合場所、西武秩父駅に程近い「金仙寺城」

金仙寺という、立派なお寺の裏にある荒川と、その支流に挟まれた一方を、堀と土塁で遮断して生まれた、三角地帯が「金仙寺城」だ。

下調べによると、土塁に迫る敵に「横矢」(文字どおり、横からの攻撃)が掛けられるように、土塁に張り出しが見られ、幅も深さも立派な堀が見られるハズだったそう、ハズだったのだが張り出しは見られたが、辺りに生えていた、竹を伐採した時、この竹の置き場として、堀がちょうどイイと思ったのだろう、この堀の窪みに竹が山積みにされて、堀が見えない〜!

その一段下にある2の郭の方が、堀が見やすかったよ。

(写メ1 指差している所が土塁、その下の竹が寝てるトコが堀でしゅ〜)

まぁ、私有地だろうから、崩さないだけでも、有難いというものですでも出来たら〜

林家たい平君の証言では、昔はここに池だか沼が有って、よく遊んだと言っていた。水堀だったのかな?

本を書いていたので、久しぶりのお城ブログだ。

また更新します〜。

4号長谷堂城へ

2010年11月16日

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4号こと、春風亭昇太は先日「山辺どんぶり亭」の皆さんに呼んでいただいて、山形での独演会を、やってきました。

どんぶり亭からの、出演依頼の殺し文句は「是非また来て下さい。お城を案内しますから」だ。

当然「こちらこそ、是非」だ。以前「畑谷城」に連れて行ってもらったが、今回は「長谷堂城」

「長谷堂城」はドラマ「天地人」で一躍有名になった「直江兼継」が「最上氏」を攻めた時の標的になった城で「天地人」の頃は随分お客様が来ていたらしい。

町役場の三浦さんの案内で、見学〜♪

縄張りは、わりと単純で大人数でないと、守れなさそうな感じの城だが「切岸」(人工的に作った、城壁の斜面)が立派ですよ。写メの段々になってる斜面が解るかな?

「主郭」の入口は「桝形虎口」になってます。そして、その虎口の外側を包むように「土塁」の残存らしき物があり。三浦さんに「これ、虎口の外側に、もう1つ土塁が有ったんじゃないですか?」と言うと「あっ。そうかも知れませんね〜」との事。写メで、解るかなぁ〜?

わからない!って人は、それがしのメモ書きを御覧下され♪

この遺構は、色々な城図をみても、のってなかったので、もしかしたら新たな遺構発見かぁ〜。

な〜んてね。色々と想像したり出来るところも、中世城郭の面白いところでやんす。


4号上田城へ

2010年11月12日

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4号こと春風亭昇太は、先日、長野県千曲市のお仕事の前に、上田城に行ってきました。

さすがに人気のお城で、真田の旗印「六文銭」の旗が、あちこちに立ってます。仕方ないけど、現在ある上田城を作った「仙石氏」が、可哀想〜。

お城は現存や移築した「櫓」が見事でした。

それにしても、上田城に行くと言ったら、また言われた。「いゃ〜。上田城には天守閣が無いんですよ〜」

こんな素晴らしい遺構があるのに!もっと自慢しなさい!


4号武田神社に

2010年9月6日

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先日、甲府での独演会の前に「武田神社」に行った。

武田神社は、元をただせば「躑躅ケ崎館」という武田氏の館だった所だ。しかも、良く残っていて、戦国大名の館の姿を今に伝える貴重な史跡だ。

独演会の主催者「ざぶとん亭」馬場さんの運転で、武田神社に向かうと、なだらかな坂道を車は登って行き、館が少し高い場所に有った事が解る。

堀を渡って武田神社に入る。神社入口の石垣は後から積んだモノ。立派な本殿や、能舞台等がある素敵な神社だが、裏に回ると城郭の香りがプンプンしてくるぞ〜♪ 

西曲輪と北曲輪をつなぐ「土橋」に「枡方」(写メ)がカッコイイ♪

以前、来た時と違うのは、南側の「虎口」(お城の入口)が整備されていた事。石垣は、武田氏滅亡の後、甲斐の国が徳川氏のものとなってから積んだモノ。(写メ)

少しづつ整備が進んでいるようで、全体が整備されたらと思うとオシッコ漏れそうです〜。

観光地「武田神社」に行った時は、是非その周りの城跡もみてね。

甲斐の国のお城巡りは、続きがあるよ♪


4号壬生城に行く

2010年8月19日

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先日、栃木県壬生にある壬生中央公民館での落語会がありました。

市街地の「平城」の場合、堀さえ埋めてしまえば、広大な更地が生まれるため、役所や学校などの公的な施設が建てられている城址が多いのですが、ここもその一つ。中央公民館は「壬生城」の跡に建てられています。

公民館の楽屋口にタクシーが入る時、右手に土塁発見。オシッ♪カメラを持って出陣じゃ♪

現在の壬生城は公園になり、本丸南側の土塁と堀の一部を残すのみとなっていますが、土塁には「折れ」があって、なかなかカッコいい♪
でも堀には、取って付けたような石垣がペタッって感じで張り付いてます(写メ1)…解説板にあった整備前の堀の、カッコイイ写真と比べると(写メ2)トホホな気持ちになる。

史跡の公園整備は「程よく」…が難しいね。
まぁ、それでも市街地で完全に消滅した平城が多い事を考えれば、少しでも遺構が残っているのは、有り難いことだ。

約15分程の妄想旅行を楽しんだ後「壬生城」本丸に建つホールで「ちりとてちん」をやりましたとさ♪

もちろん「手洗い」してからね。

「畑谷城」に4号は行く

2010年5月16日

   
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昨日、4号こと春風亭昇太は、山形テルサホールの独演会。

この仕事の依頼の時に「お城を案内しますからぁ~」と、ぼくにとって非常に有難いお言葉が

主催が「やまのべ落語愛好会」ということで、山形では一番行ってみたかった山辺町の「畑谷城」へ出陣じゃ

この「畑谷城」は城好きや研究者には、非常に評価の高い城で、先日「歴史読本」で対談した中井均先生の「日本の名城、都道府県別ベスト10」山形県の部では山形城に継ぐ、第2位に選ばれる程だ。

なんと言っても、その縄張りが面白い。

街道を取り込んでいる「畑谷城」は街道を城内に通す形で、主郭側にコの字型に開いた方形の空堀と土塁。

その山頂にポコっと乗った感じの「主郭部」

そして西側の尾根を断ち切り、そのまま南斜面の竪堀になる「三重空堀」(これを二重空堀とする説もあります)3つが、大雑把な感じで、ボンボンと配置されています。

築城の常道にはない、珍しい形で。関東、東海の城を見慣れている城好きからすると、技巧的な感じはしないが、土塁や空堀の一つ一つが明瞭に残って、ほぼ完存している遺構は貴重だし、圧倒的な迫力がある!

キャーキャー言いながら遺構を巡り、特に西側の三重空堀にはウットリ。

バカの顔になっている(写メ1)は、その堀底。オマケに(写メ2)は堀と堀の間の土塁上から両サイドが堀!わかる!?

縄張りの説明が分かりにくかったら、この城図(写メ3)を参考にしてちょ。

さらにこの堀の外側には、落とし穴のような丸い穴がポコポコと横一列に並んでました~面白い~。

歴史的にも「天地人」で一躍有名になった「直江兼継」や「前田慶次」が、慶長出羽合戦で最上氏を攻めた時に、圧倒的な軍勢でこの城を落城させ「撫で切り」(まぁ女、子供も皆殺し)にしています。「愛」なんて兜かぶって、歴女から「兼継サマ~」なんて言われている直江さんも、エグイ事もしてますよ~。

かくして「畑谷城」について小冊子まで作って、懇切丁寧な解説をして下さった。後藤さんと役場の三浦さん、そして「畑谷城」の整備等にご尽力されている皆さんに、感謝しつつ、会場に

また、山形のお客様がノリが良くってガンガン笑ってくれるので、楽しく演れましたよ

山形の皆さん、やまのべ落語愛好会の皆さん。ありがとうございました~

深沢城に4号が行く!

2010年4月30日

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昨日、小遊三副会長と御殿場へ行ってきた。

あまり落語会をやっていない会場らしいので心配したが、高座に座ってみればそんな心配はどこへやら、楽しく出来ました

高座を終えて、まだ15時。十分に明るいのでタクシーを呼んでもらい、御殿場と言えば当然「深沢城」

この辺りは今川、武田、北条の勢力がぶつかり合うデインジャラスな地域。その紛争地帯の最前線が「深沢城」です。

お城は私有地となり、一帯が畑や田んぼになっていて、ちょうど田植えの準備中。作業中の地権者の方に「見せていだだいて、よろしいですか~」と声を掛けつつ進む日本中のお城のほとんどが私有地なんで、エチケットが入場料みたいなモノなんです。

見所は「三日月堀」(写メ1)に、郭と郭との間に連続してキレイに残る「馬出」(写メ2)です。(両方とも判りづらくてスミマセン)

コンパクトで、見ていて楽しいお城でしたよ。

オマケは無理やり連れてこられた弟弟子の柳好さんです。辛そうだぁ~

それから訂正です、小幡城の中で、虎口土塁とあるのは、虎口、土塁と書くつもりで「、」が抜けてました。

田んぼではカエルがゲコゲコ鳴いてます暖かくなってきましたね~

小幡城に4号は行く!

2010年4月26日

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4号こと春風亭昇太は、どこの県に行っても、この県に来たんだから、ココだけは行っておかなきゃっ!!て城郭が有るのですが。

水戸に来ていたので。つー事は茨城県。茨城県といったら東茨城郡茨城町にある「小幡城」だ~!

「小幡城」はお城好きの、どなたのHPをのぞいても最大級の評価がされている、茨城の名城なのだ!

ボクも以前から一度は訪れたいと思っていた。

水戸に一泊して、昼に車で「小幡城」に向けて出陣じゃ。

入口から進むと、そこは堀底道。広~い、深~い。おぉ~、小幡城~。(写メ1)キャーキャー言いながら歩くが、それは現代人だから。もしも攻め手の軍勢なら、ここは空堀の中、左右の高~い土塁上からの攻撃に晒され、しかもこの堀はカクカクと折れているので、いつしか前後からの攻撃にも晒されます。ヒェ~!

空堀は迷路のようで、今どこを歩いているのか判らなくなるし、ひたすら攻撃に晒され放題。その堀底が結局、目的の郭につながってなかったりするから、タチが悪いぞ。ヒェ~!

土塁上に上がると、下の堀底は格好の標的になってる事がよ~くわかります。(解りにくいケド写メ2)

その他にも、土橋、虎口土塁の高さ、それを作った土木量!噂に違わぬ名城の迫力に開いた口が塞がらないのは、僕だけじゃなくナゼかこの人も…(写メ3)

巨大空堀迷宮「小幡城」にもう一度行きたいと思う僕の気持ち。ガッテンして頂けましたでしょうか


4号小机城へ

2010年4月20日

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休日、昼まで寝てしまった4号こと春風亭昇太は、このままでは一日つぶれてしまう!!と、急遽「小机城」に行って来ました。

新横浜から二駅、横浜線「小机駅」から徒歩十数分。アクセスの良さと、遺構の良好さを考えたら「小机城」は都心では指折りの城郭です。

落語「道灌」でも登場する太田道灌が攻めて落城した城でもありますが。現在残る遺構は、北条氏時代のもの。豊臣秀吉の小田原攻めの時も籠城を想定して、緊張した状態に有ったと思います。(実際は、先に小田原城が落城して大軍勢の攻撃に晒される事はありませんでした)

「小机駅」を降りて日産スタジアムの反対側の小山が「小机城」そういえば、このスタジアムで、我が清水エスパルスの優勝やW杯エクアドルvsクロアチア戦みたいな渋い試合も観たなぁ~。

トコトコ歩いて「小机城」登り口を上がると左右に「腰曲輪」が広がり、いきなり「一の郭」南側の「空堀」にあたります。深~い。

そして一の郭の「虎口」(写メ1)に出ます。この門の右側(僕の帽子の上)には櫓があって、防御を強化してあります。

土塁に囲まれた一の郭の先には「馬出」そして「二の郭」ここにも櫓台があります。(写メ2)

「小机城」の見所は深い「空堀」とにかく深い!ここに入ったら、左右からの矢玉の餌食です!(写メ3)

この「小机城」通った事がある人は多いはず。実は第三京浜道路が、一の郭の隣。城の中央を貫いているんです。道路になった場所にも遺構があったのでしょうが、今は知るよしもありません。

道路の下を通って、反対側の富士浅間を観終えた頃に本格的に雨。

ここらで退き陣じゃ~。あぁ面白かった


4号歴史読本に

2010年3月27日

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出た!新人物往来社の「歴史読本」5月号。

 今回は「籠城戦」の特集って事で、城郭研究で有名な「中井均」先生と春風亭昇太の特別対談が乗ってます。

この新人物往来社は、僕が学生の頃「日本城郭大系」という、現在でも城郭ファンのバイブルみたいな本を出していて、高校生のボクには高かったから、静岡県が入っている一冊だけ買って、県内のお城を見に行ったなぁ~。

そこで仕事をするとは

とにかく、先生に相手をしてもらって楽しく語ってます。歴史ファン以外の方も是非ど~ぞ。