ザブトン海峡・航海記

投稿者: syota

春風亭昇太苗木城へ

2012年11月24日



岐阜県中津川に行った。僕らの世代で中津川といえば「中津川フォークジャンボリー」
当時の若者が熱狂した、フォークソングの祭典だ。
中学生だった僕が、トランジスタラジオを聞きながら、行きたいな〜なんて思っていた中津川。んで、今、一番行きたかったのが「苗木城」である。
現在の苗木城は鎌倉時代からの領主「遠山氏」が徳川家から、一万五百二十一石の大名として取りたてられ、中世からの苗木城を改修した城だが、この城が面白い!
山城に石垣を積み上げて築かれた苗木城。見よ!!この見事な大矢倉の石垣!(写メ1)
元々この山は巨岩が剥き出している山なのだが、その岩を利用して石垣を築いていていて、そのコントラストは素晴らしい♪
しかし、岩がゴツゴツしているという事は平坦な部分が少ない事を意味していて、そこに建築物を建てる為に「かけや造り」にしてあるのだ。(京都の清水寺を思い浮かべてね)
天守も、山の頂上にあった巨岩に柱を立てて築いてあった。(写メ2、復元の柱。この上に天守閣があったのね)
まぁ、こんな感じ(写メ3・パンフレットの写真より)
とにかく平坦な土地が無い。岩にへばりつくように、かけや造りで建造し、空堀を埋めてまで三の丸部分を作っている。
もはや執念である…。
山を降りて、平地に屋敷を建てればいいのだが、それをしない。先祖代々の居城への執着か?あらためて造るお金が無かったのか…?
僕が一番興味を持つのが、これが一万石の大名の城だという事だ。
一万石は大名の位の最小単位。本来お城なんて持てない。そんな事許されない事で、普通は陣屋を作って政務をすのである。
実際、五十余りの一万石の大名のうち苗木藩のみが、城持ち大名である。僕の故郷、清水区の小島藩も一万石で、しかも徳川家とは親戚の松平の流れの親藩だが、陣屋住まいだ。
何故、外様大名の遠山氏だけが城を持てたのだろう?
苗木藩は江戸時代を通して一度も国替えも無く、藩主の中には若年寄になった者もいる…
異例の優遇に、異形の城。苗木城は面白いのだ!!
〓春風亭昇太〓

頂き物。うわぁ〜

2012年11月18日

こんな仕事をしているので、頂き物が多くて有り難い。
いつも本当にありがとうございます。
で、先日こんな物を頂いてしまった。
日本刀の本と、コレ!
なんと、刀の「鍔」本物だぁ〜!
もう、ウットリ〜これをつまみにお酒が飲めるなぁ〜
恐縮です。ありがとうございました♪
〓春風亭昇太〓

あれ?

2012年11月13日
先程の小村雪岱展に行った時のブログのタイトルは
「昇太、小村雪岱にしびれる」
でした。ナゼあんな風になったんだろう?

=?iso-2022-jp?B?GyRCPjpCQBsoQg= =?= 小村雪岱にしびれる

2012年11月13日


ニューオータニ美術館で現在開催中の「小村雪岱展」を見に行った。
小村雪岱(こむらせったい)は、大正〜昭和にかけて活躍した、泉鏡花の小説の装丁等を手掛けていた事でも知られる日本画家。
以前から知っていた訳でもないが、たまたま京王線の駅に貼ってあったポスターに、ビビビっ♪ときて、出かけたのだ。
…いゃあ〜。良かった。大好きだぁ〜。
装丁された当時の本は、もはや美術品♪色づかいいはもとより、雪岱の画く女性。特に後ろ姿の女性は、可愛く、艶っぽく、そしてハカナイ…
この絵に出てくるような世界を、僕の落語で表現する事は出来ないなぁ…。
(これ、恥じている訳じゃないよ。僕には僕の世界が有る!!)
夢のような世界に浸りたい方は、ニューオータニ美術館で11月25日までやってます。
〓春風亭昇太〓

博多天神落語まつり〜

2012年11月6日

円楽師匠のプロデュースで、東西の落語家が集まり、博多の各ホールで落語会が行われる「博多天神落語まつり」が3日間の幕を下ろした。
連日、各ホールを移動しながら計7席は大変だが、いろんな落語家の先輩や後輩と一緒に演れる、貴重な機会だ。
夜は、打ち上げ会場で飲み、楽しく過ごしましたぜ。
ご来場のお客様、ありがとうございました。
昨日は、博多でゴルフをやった。
去年の博多でゴルフをやったいらいの一年ぶり。成績は惨憺たるものだが、楽しかった〜♪
写メは、一緒に回った、雀々、志の輔、ワシです。

福岡城フォーラム

2012年11月3日

春風亭昇太は只今、博多天神落語まつりで、福岡は博多に来ています。
博多に1日早く入って「福岡城と鴻臚館(こうろかん)の将来を市民と考える実行委員会」の市民フォーラムが福岡市役所内のホールで開かれて、参加してきた。
福岡城は、名軍師・黒田如水、長政親子によって築かれた名城で、鴻臚館は7世紀〜11世紀に、貿易や外交の中心になった迎賓館のような場所で、西鉄ライオンズの本拠地、平和台球場の下に遺構が眠っていた古代の遺跡だ。
そして、この二つは同じ区域にあり、古代と近世の貴重な遺跡を同時に楽しめる場所にある。
フォーラムの前に、駆け足で福岡城を観てきた♪
何度も足を運んでいる城だが、石垣の見事さは流石だ!!
しかし、城内に生い茂る樹木が見事な石垣を見る視界を遮り、大木の根が石垣を破壊している場所もあり、フォーラムでは、木の伐採や刈込のお願いをした。
全国的に木を切る方向にはあるのだと思うのだが「緑を大事だから、木は切っちゃダメ!」って方もいて、公園と史跡の同居は難しいのだ。
写メは福岡城の石垣。お見事!!

春風亭昇太井戸の茶碗〜

2012年11月2日
下北沢本多劇場での独演会が終わった。
ご来場の皆さん、ありがとうございました♪
今回は「禁酒番屋」に「井戸の茶碗」という、お侍さんが出てくる話が二題あって、正直言って侍が苦手で苦手で、今までやらないようにしていたのだが、「古典とわたし」では、そんな今まで手掛けてこなかった噺をするのもコンセプトの一つなので、えい!って感じでやってみました。
独演会でないと、こんな噺は選べないですね〜。
休憩後、場内の明かりを暗くしてもらった日が有った。
ず〜〜っとメモを取ってる人がいて、気が小さいから、気になって、気になって仕方がなくて暗くしてもらったのだ。
「あの人、俺のこと嫌いなんだろうなぁ…」なんて考えながら喋ってるから、ロクな事はない。結局、全員に好かれたいのだか、そうはいかない事くらい分かってるのに、それがダメなんだなぁ〜。
修行が足らない〜。
さぁ、今は博多にいます、ご報告はまたぁ〜

笑点とクマモン♪

2012年10月21日



堅志田城の登城の後は、くまもと県民テレビさんの懇親会に出て、美味しい食事に美味しいお酒で、気力充実!
翌日、笑点の熊本収録だ。
楽屋で着替えてたら、なんだか真っ黒い固まりが入ってきた〜。
クマモンだぁ〜♪
大人気のクマモンと記念撮影だ(写メ1)
メンバー、スタッフが次から次へとクマモンをシャッターにおさめて、休む間もない。クマモンも大変だぁ〜
しばらくして、見に行ったら、クマモンは廊下の隅で、収録用に設置されたモニターをおとなしく見ている。
こいつ、可愛いなぁ…(写メ2)
…なんで、一緒に見た…
(写メ3)
大喜利にもクマモン参加。是非、笑点・熊本収録を視てね♪

春風亭昇太・堅志田城に

2012年10月20日



再春館製薬所さんで、お腹は一杯。軽く腹ごなしをしなくちゃ!
ってことで、下益城郡美里町の「堅志田城」に城攻めじゃ。
堅志田城は島津勢と何度も攻防を繰り返した実戦経験豊富な城で、国指定史跡。
尾根に何本も堀切を掘り防衛している姿が、木を切ってくれてあるので良く解る。
整備中らしく、柵なども復元されている。今後も木を切ってくれたら有り難いなぁ〜♪(写メ)
軽装備だったので、あまり奥までは見られなかったのが残念だが、機会があったら、また是非見に行ってみたい城だった。
あー。面白かった♪
さぁ、明日は笑点の収録。熊本市に行きましょう…

再春館製薬所へ

2012年10月20日



笑点の熊本収録のために、熊本空港に降りて「再春館製薬所」に直行〜。(写メ1)
再春館さんの製品を送る際に、化粧品を包むのに使っていただいているのは、今治市にある「七福タオル」
僕や、志の輔さんの独演会などのロビーで販売しているタオルも全部、七福タオルなので、ご存知の落語ファンも多いと思うが、七福タオルの社長は、僕の大学の落語研究部の後輩なのだ。
そんなご縁で再春館さんに会社訪問して、工場見学。
オフィス中央にある太鼓を叩いてみて下さい。というので、叩いたら、働いていた皆さんが一斉に集まってくる。
仕事中でも太鼓の音で集合するのだそうだ。
…なんの用も無いのに集めてしまい、申し訳なかった。
皆さんスミマセンでした〜。(写メ2)
その後「ニッポンいちの社員食堂」という本が10万部売れているくらい有名な社員食堂で、社食をいただいた♪
会長自ら力を入れている社食だけに、ホント美味しかったよ〜(写メ3)
♪梅干なんかタッパに入れて持ち帰りたいくらい。
眺めのいいテラスで、ごちそうさまでした〜♪この会社、本当に環境が良いや♪

芸協らくごまつり

2012年10月15日

昨日は毎年恒例になって、6年目の「芸協らくごまつり」が西新宿の花伝舎でおこなわれた。
毎年やってる、変なオープニングの今年のテーマは合唱。春や茶摘みを歌いましたぜ。
落語二席やって、あとは運動場(花伝舎は元の小学校です)でお客様にサインや写真撮影に応じて、朝9時から夕方4時まで、ほぼ立ちっぱなし♪
でも、お客さまサービスの日ですからね〜。
そして、フィナーレは体育館で、こんなに沢山のお客さま。
ありがとうございました。
来年も是非お越しくださいませませ。来年の予定は落語芸術協会のホームページで…
〓春風亭昇太〓

歌のゲスト

2012年10月13日

モロ師岡くんに頼まれて、モロちゃんと文左衛門の二人会のゲスト出演した。
前日に来た構成表を見たら、僕の高座が無い?連絡したら歌のゲストだそうで、歌うのは知っていたが、まさか歌だけとは〜
当日は、僕の会に良くきてくれているお客さんも多く、落語が無いので申し訳なかったので、終わった後、人見知りなので僕が絶対にやらない、お客さん交えての打ち上げに参加した。
ありがとうございました。
写メは、打ち合わせしてなかったので、衣装がバラバラの楽屋ショットです。

まとめ。僕の中世史観

2012年10月9日

はじめに
勉強不足や説明不足もあるだろうし、複雑な中世の社会を語るには、あまりに文字数が足らない。ざっくり過ぎるのを承知で書きます。
ゆえに「僕の中世史観」というタイトルにしました。
「僕の中世史観」
今回の見学は、中世史の面白さを再確認する旅になった。
日本の中世史を理解しようとする時に、一番障害になるのが、近世のイメージを、そのまま中世のイメージに当てはめてしまうことだろう。
僧侶は静かに、世の平安を望んで、質素な暮らしの中で日々のお勤めに励む。
武士は、武士道精神を尊び、武道の鍛練の中で、社会を統治する。
農民は、租税や粗食に耐えて、ひたすら与えられた土地にしがみつき、一揆を起こそうものなら、たちまち抑えられて、命乞いをする…
この時代劇のような歴史観を中世史に当てはめるには、無理がある。
中世は、もっと混沌としてダイナミックなのだ。
日本国という単位がまだ完全に意識として確率していない時代の中世は、コミュニティ自体が国家なのである。
例えば今回の、白山平泉寺のように、僧侶であり、であり、武士であり、職人であり、商人であり、農民でありの人が、白山信仰の結びつきの中でコミュニティを作り、対抗勢力があれば武装して、地頭でも攻め滅ぼし、一向一揆と衝突し、戦国大名でも簡単には手を出せない一大勢力として、この地に君臨し、城の要素も併せ持つ、整備された寺院都市を形成する事が出来たのである。
だから、農民や僧侶に追っかけ回され、命乞いした武士もいただろう。
もう少し細かく言えば、農民と武士の性質を持った人や、僧侶と武士の性質もった人に、追っかけ回され、命乞いした武士と農民の性質を持った人もいただろう…となる。
江戸時代の士農工商のイメージを引きずると、力強い中世日本の姿が見えてこないように思うのである。
そこから考えれば、身分の低い農民上がりの豊臣秀吉が天下を取ったというのも、近世の視点で見れば偉業かも知れないが、中世の視点でいえば、そんなに驚くような事ではないかも知れない。(先祖が何だかよく判らない戦国武将なんて沢山いる)
織田信長の、本願寺焼き討ちも、本願寺城に立て籠る敵兵を駆逐した。という事で、無抵抗の僧侶や庶民を残忍にも惨殺したといった話ではなく、本願寺が皆殺しにしなくてはいけないほどの脅威的な一大勢力だったという、ひとつの証しだ。
織田信長包囲網の中で、下手したら逆に本願寺勢に攻められ、信長が磔になっていても、不思議ではは無かったはずだ。
秀吉がおこなった「刀狩り」も秀吉自身が、一揆や自身に当てはめ、武装する農民の怖さを知っていたからではないか。
ついでに言えば、江戸時代の「武士道」という教えや価値観は、中世の時代に逆のぼりさせないために、主君に対し反抗させない、一種の洗脳の要素もあったのではないだろうか?
職業も、意識もボーダーレスな世界。その混沌が、僕を中世史の世界へ誘うのであり、暇を見つけては雑木林の城の遺構を見つけては、キャーキャーさせる要因なのである。
本願寺が、北陸の一向一揆が、平泉寺が天下を取っても、全くおかしくなかった時代があった…
もし、そうなっていたら、近世、近代の日本の姿は、また別のものになっていただろう。
そう…松平健さんは、暴れん坊将軍ではなく、数珠を振り回して、悪人をこらしめる、暴れん坊大僧正だったかもしれないのだ。
写メは、落語家であり足軽でもある昇太。バカだなぁ。

白山平泉寺旧境内5

2012年10月9日



さて、当時の白山平泉寺は、ただ静かに修行をする寺ではない。
平泉寺は利害の対立する組織には敢然として立ち向かう、具体的なパワースポットだった。
木曽義仲の軍に協力して参戦したり、地頭・淡河時治と闘い、これを自害させ、一向一揆勢と抗争を繰り返している。
対抗勢力があるのであれば、当然攻められる事も想定しているのだろう…
南谷三千六百坊の南側、女神川に面して、あきらかに人工的に削平した、中世城郭でいう「帯曲輪」があり。(解りにくいけど写メ1)
平泉寺のある尾根の、西側からの侵入を阻止するように堀があるのだ(写メ2)
実際に、現在は「白山平泉寺旧境内」という名前だが、以前は「白山平泉寺城」という名称で国指定史跡されていた、寺であり、城なのである。
他にも、土塁もあったし…多分もっと詳しく見ていけば、城としての遺構も、数多く見ることが出来ただろう〜。
そして、ここ白山平泉寺は、最終的に一向一揆に攻められて焼き討ちにされ、一大勢力としての歴史の幕は閉じる事になる…
今回見てきた坊跡等も、以来400年後の現代に発掘されるまで、地中に眠っていたというわけだ。
…そんな歴史を学べ、発掘された器等の展示もされている「まほろば」という施設も完成して、オープン前に見せて頂いた。「まほろば、最初のお客様です…」なんて言われて恐縮したが、そちらも是非♪
あー。面白かった!
なんだ結局、芝居が終わった後、通常営業じゃ無くて、趣味かよ?って方。
違います。夜は勝山市市民会館で、白山平泉寺旧境内の遺構について対談し、その後、落語もやってますよ〜(写メ3)

白山平泉寺旧境内4

2012年10月8日


石垣はテラス状に広がる坊を整然と区画している。
「歩きやすく、ありませんか?」と問われた。確かに歩きやすい。
「通路の石は丸いんですよ…」
よく見れば、積んである石垣はゴツゴツしていて、敷いてある石は角が丸く、なめらかになっている。
つまり、場所によって石を替えていて、路面は川原石を使って歩きやすくしているわけだ。
気を使ってるぞ!平泉寺♪写メ1
そして写メ2。どうですか、この通路脇の側溝!!
この側溝を見たら、この場所が完全に都市計画されて造られている事がよく解る。
ここは、ただの排水溝だったのか?
洗濯したりと、ちょっとした生活用水路だったのか?(井戸は坊の北側に一例に並んで、何ヵ所か掘ってありました)
僧兵が仲良く並んで、洗い物をしている姿を想像するのも楽しい…
あれ?昇太は城だけじゃなくて、お寺の跡も好きだったの?
そんな人のために♪
…つづく

白山平泉寺旧境内3

2012年10月8日


南谷三千六百坊院跡に向かう。
「発掘して、これが出てきました…」
目に飛び込んでくる風景に思わず、わぁ〜。とため息が出た…そこには、見事に積まれた石垣と、石を全面に敷き詰めた通路が広がっているのだ。(写メ1)
こんな感じの場所を発掘すると(まだ発掘調査していない箇所です)写メ2
こんな見事な、写メ1のような石垣が出現するんですよ〜♪
さてこれを、もう少し細かく見て見ましょう…
つづく…

白山平泉寺旧境内その2

2012年10月5日

勝山市教育委員会の方から説明して頂きながら平泉寺さんの参道を歩けば、木漏れ日の中に、浄化された空気が満ちている感覚に包まれる…
さすが、日本を代表するパワースポット!!
美しい苔も素晴らしく、ボクの汚れちまった悲しみも浄化されてゆくようだ。
そして、その中で苔に包まれるように礎石が規則的に並びながら顔を出していて、その礎石からも往時の建物の巨大さが偲ばれる。
そして…
現在、発掘調査中の白山神社(明治時代の神仏分離政策で神社になってます)の南側「南谷三千六百坊」に向かった、そこには!
斜面にテラス状に、坊院跡が広がっているのだ…
(写メ1・パンフレットより)
その姿とは…
つづく♪

白山平泉寺旧境内♪

2012年10月4日


先日、福井県勝山市のお招きで「白山平泉寺旧境内」の遺構を観てきました。
凄かったです!
白山平泉寺は白山信仰の中心となった寺院ですが、現在のお寺の、穏やかなイメージとは異なる、強大な宗教勢力の拠点になった場所です。
戦国時代の最盛期には、四十八社、三十六堂、六千坊と言われる数の建築物が境内に建っていて、僧兵の数が八千人というから、戦国大名クラスの、お坊さん王国と言ったところでしょうか。
現在は、中部最大のパワースポットとも言われ、パワースポット好きの若い女性も集まる平泉寺さんですが、その白山平泉寺旧境内遺構とは…
つづく♪
〓春風亭昇太〓

春風亭昇太・鳥越城に

2012年10月3日

ペテカン「ワルツ」も幕を下ろし。通常営業に戻って落語家してます〜。
昨日は石川県の「鳥越城」に行って来ました♪
一向一揆の拠点になった「鳥越城」は織田信長に攻めらて落とされますが、そこは戦国時代の一大勢力の「一向一揆」
江戸時代のお百姓さんが起こす一揆とは、規模が違います。
逆に取り返して。また取られたりと、激戦の舞台になった城です。
門が復元されてます。発掘調査からの推定の復元ですが、雰囲気出てましたよ〜。
空堀、本丸の切岸と見所もたっぷりです。
良かったぁ〜♪
福井市に泊まって、お腹空いたので、フラッと入った寿司屋が旨いし、安いし〜あーっ、幸せ♪

「ワルツ」終演

2012年10月1日

赤坂レッドシアターの「ワルツ」昨夜、無事に終演しました。
いい芝居に参加出来て、楽しかった〜
やりたい事は、自分だけで考えていると、いつの間にか自分が出来そうな事ばかりになってしまい、全然拡がらない事は経験上解っている。
だから、落語以外の何にでもかかわりたいのである。
僕が死んだ時に「春風亭昇太は落語一筋に生きた人だ…」なんて、絶対言われたくないのである。
今回もしかり。脚演出の本田君に、あの役を託されて戸惑ったけど、本当にやらせてもらって良かったと思う。
ご来場の皆様、ありがとうございました。
僕の落語は落語の修行だけで出来てるんじゃないです♪
写メは、昨夜の怒涛の打ち上げでの松金よねこさんとのツーショット♪