熱海五郎一座♪
2012年5月21日
ノドの報告
2012年5月17日
三鷹星のホールの独演会を休演にしてしまいまして、チケットを買っていただいた皆さん、ホールの関係者の皆さんには大変に申し訳なく思っております。
当日、そして次の日はもともとお休みだった為、病院に行き、二日間安静にしておりました。
まだまだ、本調子ではありませんが仕事は待ってくれないので、ラジオ、熱海五郎一座の稽古、落語会等々始まっております。
なるべく身体を休めながら、仕事をしていきます。
ご報告まで!
当日、そして次の日はもともとお休みだった為、病院に行き、二日間安静にしておりました。
まだまだ、本調子ではありませんが仕事は待ってくれないので、ラジオ、熱海五郎一座の稽古、落語会等々始まっております。
なるべく身体を休めながら、仕事をしていきます。
ご報告まで!
三鷹の独演会休演のお知らせ。
2012年5月13日
本日は、本当にすみません。
4日程前から喉の調子が悪く、騙し騙しやっていたのですが、今朝になりガラガラ声になってしまい、この状態で昼夜の6席は難しく。無理にやってもお客さまの満足出来る高座は無理と判断して、止むなく休演とさせて頂きました。
身体の方は、少々風邪気味くらいで大丈夫なのですが、お正月から続く仕事で、完全に喋りすぎでした。
今までも体調管理、特にもとより弱い喉には注意をしてきたつもりだったのですが、今回このような事になってしまい、申し訳なく思っています。
問い合わせ先、三鷹市芸術文化センター チケットカウンター 0422(47)5122にお願いします。
本当に申し訳ありません。
春風亭昇太
4日程前から喉の調子が悪く、騙し騙しやっていたのですが、今朝になりガラガラ声になってしまい、この状態で昼夜の6席は難しく。無理にやってもお客さまの満足出来る高座は無理と判断して、止むなく休演とさせて頂きました。
身体の方は、少々風邪気味くらいで大丈夫なのですが、お正月から続く仕事で、完全に喋りすぎでした。
今までも体調管理、特にもとより弱い喉には注意をしてきたつもりだったのですが、今回このような事になってしまい、申し訳なく思っています。
問い合わせ先、三鷹市芸術文化センター チケットカウンター 0422(47)5122にお願いします。
本当に申し訳ありません。
春風亭昇太
春風亭昇太、宮尾城へ
2012年5月11日
先日放送になった「あなたが主役50ボイス・宮島編」視ていただきましたか〜。
好きな番組なので、小池栄子ちゃんと、とても楽しくやっています。
さて、そんな安芸の宮島ですが、僕は厳島神社にも行かず(宮島は4回目くらいなんで、以前は行ってますよ厳島神社♪)
宮島の船着き場の目の前にある「宮尾城」に行った!
宮尾城は要害山と呼ばれる小高い山に築かれた城だが、歴史的には毛利元就が中国地方の覇権を握る重要な「厳島合戦」のキーポイントになった城だ。
毛利元就は、水運の重要地点のこの場所に宮尾城を築き「今、宮尾城を攻められたら困っちゃうよ〜」という情報を流して、対立していた陶晴賢をここに誘き寄せる事に成功します。その軍勢二万。
そして、言わば囮となった宮尾城に攻めかかる陶軍の背後から上陸した四千の毛利軍が村上水軍の力も借りて、陸と海から挟み撃ち。かくして陶軍は壊滅。陶晴賢は自害。
毛利元就、大出世の一戦だ。
現在の要害山は観光パンフレットには一応載っているものの、観光客には人気は無いらしく。僕が行った時には誰もいなかった。
本当に小さな城で、この城を守っていた毛利の守備隊は大軍勢に囲まれて、どんな気持ちだったんたろう?なんて考えながらの訪城でした。
写メは看板と、現在は橋が架かっている堀切でやんす。
好きな番組なので、小池栄子ちゃんと、とても楽しくやっています。
さて、そんな安芸の宮島ですが、僕は厳島神社にも行かず(宮島は4回目くらいなんで、以前は行ってますよ厳島神社♪)
宮島の船着き場の目の前にある「宮尾城」に行った!
宮尾城は要害山と呼ばれる小高い山に築かれた城だが、歴史的には毛利元就が中国地方の覇権を握る重要な「厳島合戦」のキーポイントになった城だ。
毛利元就は、水運の重要地点のこの場所に宮尾城を築き「今、宮尾城を攻められたら困っちゃうよ〜」という情報を流して、対立していた陶晴賢をここに誘き寄せる事に成功します。その軍勢二万。
そして、言わば囮となった宮尾城に攻めかかる陶軍の背後から上陸した四千の毛利軍が村上水軍の力も借りて、陸と海から挟み撃ち。かくして陶軍は壊滅。陶晴賢は自害。
毛利元就、大出世の一戦だ。
現在の要害山は観光パンフレットには一応載っているものの、観光客には人気は無いらしく。僕が行った時には誰もいなかった。
本当に小さな城で、この城を守っていた毛利の守備隊は大軍勢に囲まれて、どんな気持ちだったんたろう?なんて考えながらの訪城でした。
写メは看板と、現在は橋が架かっている堀切でやんす。
連日連休〜
2012年5月4日
5 月上席・末広亭出番
2012年4月25日
5/1〜10 五月上席 真打昇進披露興行に出演します。
とりあえず僕の出演、休演予定です。
5/1(火)19:55上がり 口上出演あり
5/2(水)休演
5/3(木)19:55上がり 口上出演あり
5/4(金)19:55上がり 口上出演あり
5/5(土)18:45上がり 口上出演あり
5/6(日)休演
5/7(月)18:45上がり 口上出演あり
5/8(火)18:45上がり 口上出演あり
5/9(水)18:45上がり 口上休演
5/10(木)18:45上がり 口上出演あり
です。当日の急な変更があったら、すみません。
よろしくお願いしま〜す。
とりあえず僕の出演、休演予定です。
5/1(火)19:55上がり 口上出演あり
5/2(水)休演
5/3(木)19:55上がり 口上出演あり
5/4(金)19:55上がり 口上出演あり
5/5(土)18:45上がり 口上出演あり
5/6(日)休演
5/7(月)18:45上がり 口上出演あり
5/8(火)18:45上がり 口上出演あり
5/9(水)18:45上がり 口上休演
5/10(木)18:45上がり 口上出演あり
です。当日の急な変更があったら、すみません。
よろしくお願いしま〜す。
安芸の宮島〜♪
2012年4月17日
春風亭昇太・黒塚砦へ
2012年4月12日
大和の国のお城巡りのオマケ
こんな城跡にも行きました。
写メ1を見て下さい。これが黒塚砦の航空写真です。
「何これ!古墳じゃない?」そう、3世紀末から4世紀に造られた「黒塚古墳」ここからは33面もの「三角縁神獣鏡」が大量出土して、邪馬台国畿内説の有力な証拠だと話題になった古墳だ。
しかぁし。戦国時代に、そんなの関係ない!!
前方後円墳の真ん中に堀を掘って分断し、円墳部分を主郭(本丸)にすれば、お城完成! (写メ2・円墳の上から撮影。階段の先にある、細長い舗装面が、堀の跡)
十市氏の勢力内にあり、龍王山城の出城として機能していたようだ。
古墳は周囲に堀もあるし、ここ以外にも城に転用されたり、城に取り込まれた例は沢山ありますよ〜♪
こんな城跡にも行きました。
写メ1を見て下さい。これが黒塚砦の航空写真です。
「何これ!古墳じゃない?」そう、3世紀末から4世紀に造られた「黒塚古墳」ここからは33面もの「三角縁神獣鏡」が大量出土して、邪馬台国畿内説の有力な証拠だと話題になった古墳だ。
しかぁし。戦国時代に、そんなの関係ない!!
前方後円墳の真ん中に堀を掘って分断し、円墳部分を主郭(本丸)にすれば、お城完成! (写メ2・円墳の上から撮影。階段の先にある、細長い舗装面が、堀の跡)
十市氏の勢力内にあり、龍王山城の出城として機能していたようだ。
古墳は周囲に堀もあるし、ここ以外にも城に転用されたり、城に取り込まれた例は沢山ありますよ〜♪
バジルの花〜♪
2012年4月9日
笑点ネイル
2012年4月7日
武春まつり
2012年4月2日
春風亭昇太・柳生陣屋へ
2012年4月1日
大和の国のお城めぐりのオマケ。
「下狭川城」の後、少し時間があったので「柳生陣屋」に行った。
車で少し行くと、柳生の里。
戦乱の実戦の中から産まれた日本全国の古武術の中で、徳川幕府に取り立てられて、最もメジャーになったといってもいい、柳生新影流の生まれた場所だ。
細い山道を行くと、突然開けた「美しい里山」といった風情の柳生で、必殺の剣法が生まれたのは不思議な感じがするが、そこは平成の奈良県ではなく、戦乱の絶えなかった大和国でのこと…
陣屋とは、城を作ることを許されなかった旗本や小藩が政務をおこなった場所。
しかし、柳生陣屋は川を前にして、切り立った崖の上に作られていて、城としての雰囲気はある。
案内板の前でパチリ♪
「下狭川城」の後、少し時間があったので「柳生陣屋」に行った。
車で少し行くと、柳生の里。
戦乱の実戦の中から産まれた日本全国の古武術の中で、徳川幕府に取り立てられて、最もメジャーになったといってもいい、柳生新影流の生まれた場所だ。
細い山道を行くと、突然開けた「美しい里山」といった風情の柳生で、必殺の剣法が生まれたのは不思議な感じがするが、そこは平成の奈良県ではなく、戦乱の絶えなかった大和国でのこと…
陣屋とは、城を作ることを許されなかった旗本や小藩が政務をおこなった場所。
しかし、柳生陣屋は川を前にして、切り立った崖の上に作られていて、城としての雰囲気はある。
案内板の前でパチリ♪
名古屋の独演会で
2012年3月31日
恒例の名古屋での独演会をやってきました。
会場のテレピアホールのロビーには、こんな物を用意していただいてました。
何しろ主催は東海テレビ。スタジオのセット等で、こんなの造るのはお手のもの。
ぼくも毎回楽しみにしています。
しかぁし…夜の部の宗徳院で、一大事!
セリフの一番肝心な「瀬をはやみ、岩にせかるる滝川の、われてもすえに、会わむとぞおもふ」の、瀬をはやみ〜が出て来ないのだ。
これには参った…こんな事あるかよ〜と思いながら、脳をフル回転!
ようやく。そしてポッと「せ、せをはやみ…」が出た!
……もう、冷や汗もの…その後の高座には影響無かったものの、上がる前にも確認したのに〜。
高座は生き物。
似合わないけど毎日が修行ですね!!
明日も頑張ろう〜♪
会場のテレピアホールのロビーには、こんな物を用意していただいてました。
何しろ主催は東海テレビ。スタジオのセット等で、こんなの造るのはお手のもの。
ぼくも毎回楽しみにしています。
しかぁし…夜の部の宗徳院で、一大事!
セリフの一番肝心な「瀬をはやみ、岩にせかるる滝川の、われてもすえに、会わむとぞおもふ」の、瀬をはやみ〜が出て来ないのだ。
これには参った…こんな事あるかよ〜と思いながら、脳をフル回転!
ようやく。そしてポッと「せ、せをはやみ…」が出た!
……もう、冷や汗もの…その後の高座には影響無かったものの、上がる前にも確認したのに〜。
高座は生き物。
似合わないけど毎日が修行ですね!!
明日も頑張ろう〜♪
4 月上席・浅草演芸ホール
2012年3月30日
4月上席の4月1日から5日まで、春風亭柳好さんトリの夜席に出演します。
寄席は、時間変更やお休みがありますので、ご注意を。
4/1(日)18:15上がり
4/2(月)18:45上がり
4/3(火)18:45上がり
4/4(水)休演
4/5(木)18:45上がり
です。他の出演者との都合で、若干の変更も有るかもしれないですが、宜しく〜。
寄席は、時間変更やお休みがありますので、ご注意を。
4/1(日)18:15上がり
4/2(月)18:45上がり
4/3(火)18:45上がり
4/4(水)休演
4/5(木)18:45上がり
です。他の出演者との都合で、若干の変更も有るかもしれないですが、宜しく〜。
春風亭昇太、上狭川城へ
2012年3月29日
大和の国のお城巡り、その2
奈良大学での公演当日、早起きして泊まっていた奈良ホテル(ここも鬼薗山城という城跡、ちなみに隣には以前行った西方院山城〜)に千田先生が迎えにきてくれて、そこにmixiの城めぐドットコム管理人で「こんな城もあったんだ」の著者・本岡勇一くん、そしてそのお仲間の宮本くんも合流。
皆で「上狭川城」へ向かう。
「上狭川城」は土豪・福岡氏の城だ。
土塁に囲まれた長方形の主郭に、南北二ヶ所に虎口を設けているのだが、この南側の虎口の前の守りが見事。
山を登っていくと堀切が見えてくる。そこから主郭に向かって進むと、堀と土塁を見事に組み合わせた、巧みな防御を見せてくれる
ちょっと解説。縄張り図を見て下さい。(写メ1)
千田先生が書いた縄張り図をもとに、今回は解りやすく、土塁を黒く、空堀を白にしてあります。
黒いムカデみたいのが土手のように盛り上がった土塁。白いムカデが堀。図の下から、山頂の主郭(本丸)までには5�程の高低差があります。
そして、赤線が主郭への想定される、敵兵の侵入路です。
一本目の堀を渡った後(この堀は図にはありません。図の右下にチラッと見えてます)
敵兵が進むと図の下にある2本目の堀に制限されて中央の道に集まって進まされます。
この細い道が「土橋」正面と左の小さい土塁からの十字砲火が、土橋を一列に進む敵兵に集中。格好の餌食です。
ナントカ土橋を渡ると。正面の土塁の前には左右の通路。
右のルートを選んだ人は行っても何も無いただの道。土塁上から攻撃され、引き返しても、何も知らない味方がやって来て、戻るに戻れず右往左往のパニックに…
左のルートを撰んだら。正面に小さい土塁が待ってます!
ここを突破して、180度ターン。しかし、ここは死の小路。
上の土塁から攻撃され、逃げようにも、土塁に挟まれて逃げようが無い場所で、3と書かれた曲輪から背後からも反撃されます。
ここをしのいで、90度左に曲がれば、主郭の土塁が待ちかまえています。
再び90度右に曲がれば、2と書かれた曲輪から背中を射たれます!!
現在は有りませんが、当時はここの何ヵ所に門があったはず。
守備兵の攻撃にさらされ、門を破壊しながら進むなんて…
コンパクトに何重もの仕掛けがしてあって見事ですね〜。
ただの山じゃなくて、ただならぬ山城なんですよ。こんなの見るのが、何よりの楽しみ♪
(写メ2)は土橋でニヤつく昇太、千田、本岡の3人。敵の足軽だったら3人とも、この世とオサラバです〓。
奈良大学での公演当日、早起きして泊まっていた奈良ホテル(ここも鬼薗山城という城跡、ちなみに隣には以前行った西方院山城〜)に千田先生が迎えにきてくれて、そこにmixiの城めぐドットコム管理人で「こんな城もあったんだ」の著者・本岡勇一くん、そしてそのお仲間の宮本くんも合流。
皆で「上狭川城」へ向かう。
「上狭川城」は土豪・福岡氏の城だ。
土塁に囲まれた長方形の主郭に、南北二ヶ所に虎口を設けているのだが、この南側の虎口の前の守りが見事。
山を登っていくと堀切が見えてくる。そこから主郭に向かって進むと、堀と土塁を見事に組み合わせた、巧みな防御を見せてくれる
ちょっと解説。縄張り図を見て下さい。(写メ1)
千田先生が書いた縄張り図をもとに、今回は解りやすく、土塁を黒く、空堀を白にしてあります。
黒いムカデみたいのが土手のように盛り上がった土塁。白いムカデが堀。図の下から、山頂の主郭(本丸)までには5�程の高低差があります。
そして、赤線が主郭への想定される、敵兵の侵入路です。
一本目の堀を渡った後(この堀は図にはありません。図の右下にチラッと見えてます)
敵兵が進むと図の下にある2本目の堀に制限されて中央の道に集まって進まされます。
この細い道が「土橋」正面と左の小さい土塁からの十字砲火が、土橋を一列に進む敵兵に集中。格好の餌食です。
ナントカ土橋を渡ると。正面の土塁の前には左右の通路。
右のルートを選んだ人は行っても何も無いただの道。土塁上から攻撃され、引き返しても、何も知らない味方がやって来て、戻るに戻れず右往左往のパニックに…
左のルートを撰んだら。正面に小さい土塁が待ってます!
ここを突破して、180度ターン。しかし、ここは死の小路。
上の土塁から攻撃され、逃げようにも、土塁に挟まれて逃げようが無い場所で、3と書かれた曲輪から背後からも反撃されます。
ここをしのいで、90度左に曲がれば、主郭の土塁が待ちかまえています。
再び90度右に曲がれば、2と書かれた曲輪から背中を射たれます!!
現在は有りませんが、当時はここの何ヵ所に門があったはず。
守備兵の攻撃にさらされ、門を破壊しながら進むなんて…
コンパクトに何重もの仕掛けがしてあって見事ですね〜。
ただの山じゃなくて、ただならぬ山城なんですよ。こんなの見るのが、何よりの楽しみ♪
(写メ2)は土橋でニヤつく昇太、千田、本岡の3人。敵の足軽だったら3人とも、この世とオサラバです〓。
浜松町・文教堂さん
2012年3月29日
春風亭昇太、龍王山城へ
2012年3月19日
奈良大学のお招きで、奈良に来ています。
奈良大学のオープンキャンパスでお城について語るのだ。
…で、1日早く入って奈良大学の千田嘉博先生と、入試センターの松井さんと「龍王山城」に行ってきた!
「龍王山城」は大和の国人(地方で領地を支配している、ミニ戦国大名といった感じかな。この国人から戦国時代を代表するような戦国大名も生まれてます)「十市氏」の居城で、南城と北城からなる、奈良最大級の城だ。
素晴らしい遺構を残す城で、特に北城が面白かった♪
写メ1は、北城の主郭東側の堀切側面にあった石垣。 多分、この面に石垣が続いていたものと思われる。
これ、400年物のヴィンテージ石垣だよ〜♪
千田教授とも堀底でパチリ(写メ2)
主郭には、礎石と思われる石や、庭園の跡っぽい石もあり、本格的に調査したら面白い事になりそうだ!
大和国といえば、松永久秀や筒井順慶に比べて、地味な感じがする十市氏だが、この凄い城を見れば、大和の国を代表する、有力な国人領主だった事が偲ばれる…
大和国の城巡りは続きます!
奈良大学のオープンキャンパスでお城について語るのだ。
…で、1日早く入って奈良大学の千田嘉博先生と、入試センターの松井さんと「龍王山城」に行ってきた!
「龍王山城」は大和の国人(地方で領地を支配している、ミニ戦国大名といった感じかな。この国人から戦国時代を代表するような戦国大名も生まれてます)「十市氏」の居城で、南城と北城からなる、奈良最大級の城だ。
素晴らしい遺構を残す城で、特に北城が面白かった♪
写メ1は、北城の主郭東側の堀切側面にあった石垣。 多分、この面に石垣が続いていたものと思われる。
これ、400年物のヴィンテージ石垣だよ〜♪
千田教授とも堀底でパチリ(写メ2)
主郭には、礎石と思われる石や、庭園の跡っぽい石もあり、本格的に調査したら面白い事になりそうだ!
大和国といえば、松永久秀や筒井順慶に比べて、地味な感じがする十市氏だが、この凄い城を見れば、大和の国を代表する、有力な国人領主だった事が偲ばれる…
大和国の城巡りは続きます!
(無題)
2012年3月16日
富良野〜♪
2012年3月15日
志の輔さんと二人会
2012年3月9日