米子城の竪堀 3
さてこの竪堀なんですが、以前このブログでも紹介した米子城の「登り石垣」とセットと考えられます。
鳥取県にある米子城は、日本海に面した場所に築かれています。この海を睨んだ城である米子城を築城していた吉川広家は豊臣秀吉の「朝鮮の役」に従軍しています。
朝鮮に出兵した秀吉軍は朝鮮の沿岸に「倭城」と呼ばれる遠征軍のための城を幾つも築きます。この時、補給線である船着き場を守るために「登り石垣」を作るんですね。
登り石垣は、朝鮮の役生まれ。つまり吉川広家は朝鮮の役の体験から米子城に「登り石垣」を採用したと思われます。
米子城の縄張り図に、登り石垣(左)と竪堀(右)を赤線で表記しました。 登り石垣は、竪堀の機能を石垣化したもので。竪堀と同じように山の斜面を遮断するものです。海側からやって来た矢印が敵側。竪堀と登り石垣で「二の丸」を守ってますね。
本丸にある天守は防衛の為のもので、住居には適していません。以前も書きましたが、よく天守閣に登って「あー、殿様はこんな所にいたんだー」なんて言っている観光客の方がいますが、殿様はあんな急階段の寒い所には住みません。トイレもないし…あんな倉庫みたいな場所に居る人は、そーとー身分の低い人ですよね。
重要人物のいる二の丸の防衛。それが「竪堀」と「登り石垣」の役目ってことでしょうか。この二本がセットで米子城にあるって事に意味があるんですねー。
春風亭昇太
米子城の竪堀 2
米子城の竪堀 ♪
仕事で鳥取県に行った時、泊まっていたのが米子市。
夜の公演だったので昼間に、米子市の方のご案内で行ってきました「米子城」
夏にも「登り石垣」を見に行っている米子城ですが、何やら新しい発掘調査があったようで、それは見なきゃ!ってコトで行ってきましたがあ〜!
凄いのが出ててましたぜ。
「竪堀」です。
発掘調査で出た土を土嚢(白いヤツ)にして積んでありますが、堀が山頂に向かって延びています。
竪堀とは、中世ので山城にはよくみられる堀なんですが、山の斜面を上から下に空堀を掘ることで、攻め上がって来る敵兵が山の斜面を回り込めないようにして、行動を制限するものです。
竪堀に入ってしまった敵兵は、一列縦隊で山を上がってくるので防御も簡単。
またこの米子城の竪堀が巨大で、凄いんですよ〜!
こんな巨大竪堀を作ってドコに回り込んで欲しくなかったのか…それはまた次回!
春風亭昇太
凄いの書いてもらった。
少し前のおはなしですが、凄いの書いていただいた。
可児市でお城のイベントがあった時のこと。台風の影響で美濃国の城攻めが中止になってしまったんで、参加していた皆さんとオープン前の「美濃・金山城」のガイダンス施設に遊びにいきました。
その中にいたのが前日のお城トークでも同席した漫画家の「宮下英樹」先生。
豊臣秀吉の家臣としてデビューして、ジェットコースターのような人生を切り開いてきた大名、仙石秀久を描いた「センゴク」から「センゴク天正記」「センゴク一統記」「センゴク権兵衛」と大ヒット作を連載している、超多忙の漫画家の先生だ。このシリーズもの凄く面白い。城攻めの描写も、城ファン納得の内容です。
今川義元を描いた「センゴク外伝・桶狭間戦記」も書いている方なんで、すみません…色紙を一枚…とお願いしたら。
桶狭間戦記の今川義元公じゃなくて、なんと。春風亭昇太バージョンの今川義元公を書いてくれました。スゴイ !
ファンの皆さんには、ホント申し訳ない感じの、お宝をいただいちゃいました。
宮下先生ありがとう。またお城イベントでお会いしましょう。
春風亭昇太
窓からの絶景 !
北と南で間違えたぁ。
Re: 前川本城レポート 3
次は西ルート。
正しくは西南方向になります。ここが搦手と考えられます。大手が表玄関、搦手は裏口ってとこでしょうか。
この図も平面に描かれていますが、下から上に向かって急斜面になっています。今回もお城ファンの皆様スミマセン。落語ファン用に、解説はぼくのザックリ図です。
東ルート同様に屈曲させられ、上の土塁から攻撃されながら進まされる事になるんですが、西ルートは別のトラップを…
赤と緑が攻城兵の想定されるルート。赤と緑は何が違うかというと、緑は可哀想な人達なんですね。
他国からやってくる攻城兵は、この城の構造を知りません。進んでみて初めて自分が居る場所の状況を知る事となります。
さぁ、西から攻めて行け ! と言われた足軽さん達は城の虎口(出入り口)を探して進むと何やら入り口らしき物を発見します、それが写メ2の写真。ここがザックリ図では「ココ→」と書かれている部分です。
二手に分かれて進みましょう。しかし左を選んだ緑さん達は、行けども行けども堀底で。土塁の上から危険な物が飛んできます。なんとか進んだ人には北側にある断崖絶壁が待っています。残念。
正解の右を選んだ赤組さんは屈曲させられながら、土塁上からの攻撃に晒されてますが頑張って進みましょう。
虎口の手前で、またもや二つの道が…二手に分かれて緑組を選んだ人は、最初の緑さんと同様の目に遭います。Cと書かれた枡形は正面と、緑組さんの後ろを狙える銃座です。戻るに戻れない緑組が進んだ先には、やっぱり断崖絶壁が !
赤組さんの先だけに主郭が待っていますが、この後果たしてどうなりますか…
ボクが勝手に想定した状況ですが、城には分散させられ、屈曲させられ、誘導されるという様々な罠が待ち構えているという事を理解していただけたらと思い書きました。天守閣見ても城のトラップの面白さはわかりません。ボクを建築物の無い中世の土の城に誘うのは、これらを知りたいからなんです。
それが良好な状態で残っているが前川本城。私有地だと思われます。地権者の方に迷惑にならないよう、お会いしたら一声掛けるなどして見せていただきましょう。
素晴らしい城跡です。これ宮城県、いや日本の宝ですよ。
また是非ゆっくり見に行きたいです♪
春風亭昇太
前川本城レポート 2
では、まずは大手筋と考えられる、東側のルートから。
写メ1は縄張りの見事さに驚くボクですが、このブログを見てくれているのは、基本落語ファンの皆様でしょうから、写真だと「だだの森じゃん」って言われそうなんで、図をラフに書いてみました。
本当は縄張り図を出したいところなんですが、読み取れないかも…なんで、城の東側の一部分を簡単な図で書きました。
お城ファンの皆様。ザックリし過ぎていてスミマセン。
図は東側から主郭(本丸)に向かいます。下が東で、黒い筋は「土塁」です。細い線は地形の「へり」ですね。平面のように書かれていますが実際には、図の下から上に向かって上り斜面になっていて、上の方が高くなっています。
赤線が想定される攻城兵がたどるルート
まずは切岸(人工的に作り出した急斜面)に沿って右に迂回されられ、この時上から攻撃され放題。
なんとか抜けると正面に土塁の壁があるので左に折れて、右に進み、枡形の中に入ります。
ここは絶体絶命のでディンジャラスゾーン。土塁の上から攻撃され、Aの部分は櫓があったと思われるので、ここからも矢玉の雨あられ。上から、前から、横から、後ろからの攻撃を受けて、どうすりゃいいんだ足軽さん !
頑張って進んでもBの曲輪から城兵が出てきますよ。そしてBに進んだとしても行き止まり。ムダ骨だぁ。
クランクさせられながら、最後の赤線を進んでも、実はココ堀底道。巧みに誘導されていて、両サイドの土塁の上から徹底的に攻撃されます。
この堀底に逆茂木でも置かれたら、前進は困難を極めますね。
西にあるルートも、たくらみに満ちた危険な道ですよー。
春風亭昇太
前川本城レポート
簡単な前川本城レポートをしてみます。
前川本城は山形自動車道、宮城川崎インターチェンジの東の1キロ程の場所にあり、戦国時代も仙台、山形を結ぶ笹谷街道がある交通の要衝で砂金氏(いさごし)が治めていた場所です。
山形自動車道建設に伴い発掘調査をしたところ、前川本城の北にある本屋敷遺跡で中世の町場集落の跡が発見されました。集落は空堀で守られていて、前川本城の城下集落と推定されていて、有事の際は城の一部として防御施設にもなるって事ですね。
城は、立野川と前川に挟まれた場所にあり、立野川側は急峻な崖となっていて南側からは侵入は無理。西側の緩斜面は巨大な空堀で遮断して、入城ルートの東側と南側を巧みな縄張りで防御しています。
この空堀ですが、南側から西に伸びていて、その先は南の立野川の崖になっています。その堀は二重堀になっていて西側には、一部三重になっている部分もあり、高低差は10m以上です。
攻城兵は、堀に降りて堀底に入り。10m登って土塁に上がり、再び10m降りて、また10m上がる…その間、当然攻撃に晒されています。
この土木量。砂金氏の領地ですが、とても在地の小領主に出来るモノではないと思います。当然伊達家のお仕事でしょう。普通に考えれば、北の関ヶ原と呼ばれる、関ヶ原の合戦と同時期に上杉が最上領内(山形県内)に侵攻して、伊達政宗も上杉を牽制する形で最上領内に入っていますが、その慶長奥羽合戦の頃に伊達氏が前川本城に手を入れたということではないかと思われます。
このあたりの事が、資料に登場しない事や、発掘等の調査がされていない事から不明なんですね。
城に順位を付けたくなないのですが、僕が過去見た中世城郭では3本指に入ると思います。国指定級の超一級品の史跡です。いつの日か本格的な発掘調査をして頂きたいです。
では、西と東のルートがどう巧みなのかは、また次回に。
写メは見事な空堀。
春風亭昇太
前川本城へ !
独演会が終わりました…
時間が前後してますが、先日、東京下北沢の本多劇場での独演会を終えました。
自分で企画する独演会は、やりがいとプレッシャーが交差して終わった後にはグッタリするのも、いつもの事だ。
今回は「替り目」「二番煎じ」「死神」の3席。
得意にしている二番煎じを除いて、替り目も死神も10年程前に演ったきりの落語だったが、構成やサゲなど、やりたかった事は出来ました。また改良しながらやってみますね。
僕にとって、なかなか収穫の多い独演会になりました。
ご来場の皆さん、ありがとうございました。
チケットが手に入らなかった皆さんすみません。
あたりまえだけど、やっぱり落語を演っている時が一番楽しいし、充実感があります。
でも、それだけじゃ人生はつまらない…
春風亭昇太
すごい美人とー♪
記念ウオッチ♪
頑張れ。エスパルスと俺 !
昨日、清水にあるIAIスタジアムに、(株)エスパルスさんに招かれてオープニングセレモニーに行ってきました。
最近、勝ち点が無くJ2降格の危機も迫る、わが街のエスパルス。しかも、昨日は同じ静岡のチームジュビロ磐田との静岡ダービー。いつとは違う雰囲気でしたぜ。
こんな緊迫した時に困るのが、僕のこの薄っぺらい存在感。選手が紹介される度に相手サポーターからのブーイングという雰囲気の中で挨拶もあるのだー。どうする昇太…
とりあえずピッチに出て行ったらエスパルスサポーターからの大声援。
いい気になって挨拶した後、以前札幌戦でも言った恒例。相手サポーターに向けての「お願いがあるんですけどー。今日は適当に応援してくれませんかー」の問いかけにジュビロサポーターから大ブーイング…
ブーイングに包まれるのも、これはこれで気持ちがいい。しかも、ジュビロサポーターのブーイングはちょっと優しかったです。静岡はありがたいなぁー。
写メは試合前の余裕の表情と、パルちゃん達とのお写真。みんなハロウィンの格好で可愛かった。
結果は…聞かないでくれー !
急いで東京に帰って、独演会の稽古。エスパルスも僕も追いつめられているんだ。
頑張れエスバルスと俺ー !
清水にぎわい落語まつり…の前に♪
僕のふるさと静岡市清水区での「清水にぎわい落語まつり」も第五回目をむかえました。
清水の5会場での落語会はどこも盛況で、清水の街に落語がどんどん浸透してきているようです。
で僕も会場である清水マリナートに行ってきましたが、ここは港がすぐ目の前です…
なんで。落語会の前に出演者の一人、林家彦いち君と、落語まつりに協力していただいている「JAしみず」の釣り好きの方に連れて行ってもらいました。
清水港は僕が小学生の頃に仲間と釣りして遊んでいた、俺の漁場だぜ。
あの頃は、清水の駄菓子屋さんには釣道具が売っていて、安い釣りセットを竹竿でやってましたねー。
糸をおろせば「カタクチイワシ」や「さっぱ」と言われる小魚が入れ食いです。
そのイワシをエサにして針につけて、底まで下ろしたらぁーー…
きたぁー。関西では高級魚の「キジハタ」が釣れましたー ! やったぜー。
マリナートに戻って落語会。1500席の客席は満席 鶴瓶師匠、ワシ、花緑さん、彦いちさんという豪華なリレーでもの凄い笑いの量。
故郷は、お客さんも、魚も僕に優しいですー♪
春風亭昇太
ザ・フルーツ千秋楽
無事にザ・フルーツが東京公演を終え、地方公演も千秋楽を迎えましたよ。ご来場の皆さんありがとうございました。
やっぱりフルーツは楽しいです。
この芝居は僕らが歳をとって、オジさんからオジーさんになればなる程面白くなっていくであろうことは容易に想像出来ます。じいさんのくせにおカッパ頭のカツラ被って青春してたらイケるよー♪
次回は数年後になると思いますが、また新作でやれたらいいなと思っています。
バンドのザ・フルーツとしてはXmasの日にライブを予定しています。例によって、ザ・フルーツとフォークバンドの縞蛇との対バンですが、まぁ、同じ人が出てくるから対バンは自傷行為ってことだな。
また是非、ご来場下さい。
仕事の方は、終わってすぐに独演会やテレビの仕事の通常営業に戻っていますが、ちょっとハードルの高いミッションの収録を昨夜やってきました。
情報公開出来るようになったら、またお知らせしますね。
春風亭昇太
美濃金山城発掘調査♪
「愛しのドラム ザ・フルーツ2」の地方公演が始まり。静岡市の清水、愛知県知立市の公演を終えました、お客さんの反応が良くて、楽しいツアーになっています。
知立公演を終えて帰京の予定を変えて、岐阜県可児市の美濃金山城の発掘調査に誘われて、見学に行ってきました。
美濃金山城は森家の居城。森蘭丸で有名ですね。
各曲輪に石垣が残る近世城郭で、特に枡形は見事でお気に入りの場所で、ここの正面にある石垣は面白くて、この石垣がなんらかの防御施設であったことは確かだと思うし、その形を想像するのも楽しい。僕の頭の中にその形は出来上がっているが、今日の主役はココじゃない…本丸だ。
現在、金山城の本丸部分を発掘中。面白い発見が色々あるようだ。
ここには天守閣があって、その姿をあきらかにしよう、というのが今回の発掘。何だか大変そうだか、楽しそうだ。
発掘調査は、発掘によって出てきた証拠というパーツを組み合わせて、往時の姿を組み立てていくパズルのようなイメージだが、今回もいろいろなパーツが出できていて、説明を聞きながら僕なりに考えてみた。
頭の中に、天守閣が浮かんだり、消えたり。また浮かんだり。
発掘は、感と体力と忍耐。10月も発掘を継続するとのこと、良い発見が有りますように…
10/22(日)23(月)と可児市で「山城に移行!2017」というお城イベントがあるので、また金山城に行けそうだ。楽しみ ♪
春風亭昇太
朝日山城♪
お城を長いこと見ていると、城に対する嗅覚みたいなものが身に付いてきますぜ。
城の選地には法則があるので、地形や、山の形、そして雰囲気等で「ここは城だな…」なんて当てたり出来る。
先日も、佐賀県の鳥栖市で番組のロケ中に地内の地図を見せられた時に、眼下を川が流れる独立丘陵を見つけて「ここは絶対にお城ですよ」と言ったらホントに城だった。
いいぞオレ♪
鳥栖駅の近くにある朝日山がそれで、朝日氏の居城から、筑紫氏の城になり、島津氏に攻められたりしている「朝日山城」だったが、この城は戦国時代にととどまらず。なんと、明治7年に起った内戦の「佐賀の乱」を「憂国党」と共に主導した「征韓党」が陣を張った場所でもあった。
それだけ重要な場所にあるってコトね。
行ってみたら公園化で歩道が出来てしまったりしていたが、見事な「堀切」が残っていて、写真の奥に向かってそのまま山の斜面を断ち切る「竪堀」になっていた。
主郭の先には「畝状竪堀」がある。ちょっと判り辛かったが、それらしい竪堀の凹みを見つけたあたりでタイムアップ。残念ー。ロケ中だから仕方ないね。
うーん。しかしお城は全国にあるので、どこに行っても楽しいなぁー♪
春風亭昇太