数年前に時々行くホームセンターで購入してから、毎年咲いて、春の楽しみになっている桃の花が、今年も良い感じで咲きはじめました〜。
外で育てて、咲き始めたら部屋に入れて、楽しんでいます。
コレ観るともう冬の噺の、時そばや二番煎じは出来ないなぁ〜って思います♪
そろそろ崇徳院や花粉寿司かぁ〜
〓春風亭昇太〓
年末年始と、ず〜と働いてきたが、たまの休みも原稿書いたり、次の落語会の準備だったり、資料送れだの、お礼状書いたりで休みでもなんでもない。
先日、全てをシャットアウトしてみた。
朝、目覚まし時計かけずにダラダラ起きて、朝食。
塩鮭、玉子、大根のお味噌汁、その時に出た大根の皮を細切りにして、胡麻油で炒めて、お醤油で味付けたものに、胡麻をパラパラして、食べる。
大根の皮の適当炒めが以外と旨い♪
レコードでフランク永井のジャズを聞きながら、部屋の整理。
午後は、久しぶりのボクシングジムに行く。
久しぶり過ぎて、縄跳びだけでクタクタ〜
シャドウボクシング、サンドバッグ、ミット打ち、パンチングボールで汗ダラダラのバテバテ〜
家に帰って、夕方はCM撮影の時にいただいた「横浜あんかけラーメン」
別に宣伝じゃないけど、コレ本当に美味い♪
食べながらビール。
何のために汗出したんだか…
夜は呑みながら「男はつらいよ・寅次郎相合い傘」を観る
寅さんのシリーズで唯一、憧れではなく同じ目線で会話が出来るキャバレー回りの歌手リリー(浅丘ルリコさん)
同じ、浮き草暮らしの二人は、遠慮がないぶん衝突もする。
近づいては、離れる二人。
何回観たかわからないが、毎回じれったく、可愛くて、悲しい。
続いては、冷凍のビザをトースターで焼いて、オリーブオイルとタバスコをかけて、ワイン呑みながら、「海底2万マイル」を観る。
古いSF映画はファンタジーだ。
正義と冒険とロマン。最近まったく口にしなくなった世界も、なかなか良い♪
食べて、動いて、呑んで、観てたら、眠くなったんで…寝る♪
かくして、布団の中で惰眠をむさぼり、明日という日を迎えるのでアル。
無駄な時間は絶対に必要だ!
〓春風亭昇太〓
笑点の山口収録で徳山に行ってきました。
ホテルから徒歩1分で海なんで、 釣りでもしたいなぁ〜と思ったんですが、釣れたら釣れたで後が大変なんで、朝明るくなるのを待って城めぐり。
在来線でお隣の新南陽駅へ。
駅から、少し歩いて「勝栄寺」に行ってきました。
中世を考える時に一番やってはいけないのは、江戸時代のイメージを当てはめてしまうこと。
混沌とした中世では、お寺はお経と、お墓参りの場所だけではありません。
勝栄寺はお寺でありながら、お城でもある寺院城郭。周囲を土塁で囲っている軍事施設です。
現在でも土塁の一部がキレイに残っている貴重な史跡で「勝栄寺土塁及び旧境内」として県指定史跡になっています。
しびれました。早起きして良かった〜♪
〓春風亭昇太〓
先日、円楽・昇太・たい平三人会で高知に呼んでいただきました。
会場の徒歩3分くらいに高知城歴史博物館があるので行ってみたら、開館は3月でした。てへ。
で、方向転換して高知城に行く♪
何回来たかわからないけど、素晴らしい。
現存天守閣は12城。現存する御殿は4城。これがセットで残っている、日本にただ一つの近世城郭です。
そして、この天守閣は美しいだけのお飾りじゃない。
三の丸に侵入した敵兵の正面に天守閣があり、天守閣の真下に二の丸に通じるルートがあります。その先が二の丸を守る「鉄門」で、これに取り付いた敵兵は、天守閣に背中を見せた状態で、この門を破らなければならないんです。
高知城は三の丸への直接攻撃拠点。弓矢、鉄砲はもちろん、手頃な石でも投げたら、兜など簡単に粉砕するでしょう。
…怖!
(写メ・三の丸からの写真。左の天守閣の下から斜めに延びる石段の先が鉄門です)
〓春風亭昇太〓
で前回の、つづき。
知覧城を見学後、知覧武家屋敷に行ったのですが、ここには屋敷の門に小さな「枡形」という門から入った人が直進出来ずクランクさせられる四角いスペースがあって、知覧城の虎口に多用されていた、枡形の影響だと考えられています。
なる程。と思いながら、森重堅邸を見学していたら、なにやら不思議な入り口が2つ。なんだコレと思ったら「男玄関・女玄関」という男女の入り口を分る玄関で、当時の男尊女卑の象徴みたいに言われている玄関なんでずか、客人や主人の入り口と区別する事で、身分を分けるという意味があるようなんです。それでハッとしました。
(写メ、男玄関・女玄関)
織田信長などの城、例えば安土城では、信長は山頂に住み、その下に家臣屋敷等が広がっているので位置的にも主従の関係が現れています。
知覧城は、それぞれの曲輪の独立性が高く、主従の関係が縄張りの上では読み辛いので、主従の関係が緩やかではなかったかという考えがあるんですが、それはシラスの台地上に城を形成するなかで自然に、あるいはいたしかたなくそうなっているだけで、それを解消するために、主郭部の入り口に2つの入城口を造り、城の主君が使う玄関と、家臣が使う玄関で区別する事で、主従の縦関係を保つ要素にしていたのではないのか…
武家屋敷の枡形を見た後に、男玄関・女玄関を見たら、わざわざお金のかかる玄関を2つ造るというのが、男尊女卑を実行するには無駄過ぎるような気がするんです。お金かけなくても、座わり位置、食べ物、お風呂の順番、等々でいくらでも出来る事です。
先祖伝来の知覧城の影響であるならば、枡形同様わざわざお金をかけての造作は納得出来ます。
知覧城の2つの入り口は中世における「男玄関(主君の使う玄関)・女玄関(家臣の使う玄関)」だったのではないか ?
…というのが、僕のあの不思議な2つのルートを持つ登城口への四つ目の考へです。
知覧城と武家屋敷を見て、ざっくりと思った感想なので、もう少し他の南九州地域の城や武家屋敷の形態を勉強をして、共通性や独自性を基に考えてみたいと思っています。
いゃあ、こんな事考えてると、楽しくて時間があっという間に過ぎていくんだよなぁー。
バカだなぁー俺♪
〓春風亭昇太〓
素晴らしい知覧城の遺構を見ながら本丸と蔵之城(城とありますが、本丸隣の曲輪です)に上がる虎口の先に不思議な2本の登城ルートがありました。
虎口を通ってから二手に分かれて、本丸と蔵之城の手前に出るのですが、何故二手に分かれているのでしょう。同行してくれた学芸員の方に聞いても「不思議なんです」との事。今まで見た事もない、面白い形です。
なぜ虎口に入ってから、二手に分かれるコースがあるのか、考えてみました。(写メ、この先に二手に別れるルートがあります)
最初に考えたのが防衛上の理由で、二手に分かれる事によって敵兵を二分して、兵力を分散させるというものなのですが、城内に入るもう少し手前ならわかるのですが、本丸の手前という事で、ここまで侵入を許した状態で二手に分かれるようにしむけると、味方の手勢も少ない中で、自らの兵力も二分させるのは適策ではないでしょう。
次に考えたのが、このルートが本丸と、蔵之城の2つの曲輪に向かう為の専用のルートだという事。しかし、こうする為には本丸と蔵之城が、土塁や堀や塀で仕切られている、別の区画になっていないといけませんが、その様子はなさそうです。
もう一つは、二手に分かれたルートが造られた時代が違うというもの。初期段階でクランクしながらも直進するコースのルートが造られ、後に、このルートが使い辛いので、左に曲がって進む楽なコースが造られたという考え。
たぶんこれが一番有力だと思いますが…
知覧の旅の中で考えた、もう一つの可能性について書きます。が、それは次回に
つづく ♪
〓春風亭昇太〓
本日、先輩の桂竹丸兄さんに声をかけてもらって鹿児島に仕事に行ってきた。当然お城付き!
朝イチの飛行機で飛んで、中世城郭ファン憧れの「知覧城」へ♪
知覧城は地理の時間に習ったシラスと呼ばれる火山灰が作った土の上にあります。
水の浸食に弱いシラスが作った谷を利用して、深く空堀を穿ち、ダイナミックな堀と切岸の「南九州型」と呼ばれる見事な城だ。
堀底道になっている空堀を歩くと、左右にあるほぼ垂直の切岸が迫力満点!
(垂直にした方が、なだらかな勾配より、雨等による浸食の影響を受け辛いそうだ)
今でも凄い高低差なのに発掘調査により、さらに7メートル堀底は深かったと言うから、凄まじい深さなのだ!!(写メ)
興奮して、いつもの自撮りを忘れる程の知覧城ですが、本丸手前の虎口(入口)に不思議な二手に別れる虎口があったのだが、これについて次回から、僕なりに考察してみようと思う。
少しばかり専門的になりそうですので、お付き合い下さる方だけ、お読み下さい。
〓春風亭昇太〓
お城コラム連載中の大人の休日倶楽部の取材で「小田原城」に行ってきました。
リューアルした小田原城天守閣にも行ってきましたが、楽しみにしていたのは後北条時代の小田原城の「総構」(街全体のを包み込むように造られている、防衛ライン)が感動的。
街に点在する総構えの遺構の規模にキャーキャー言いながら見てました♪
(写メではちょっとわかり辛いけど、堀の跡です)
総延長9キロにおよぶ堀と土塁の土木量を考えると、いかに北条氏が強大な戦国大名だったのかが分かりますね〜。
地下鉄の階段登ると体が重いと感じるのに、お城だと、どんな急斜面でも悪路でも平気。
北条氏の遺構に癒されて、今日もまた寄席通いだ!!
〓今川義元〓