4号岩殿城に
4号こと春風亭昇太は、先日「笑点」の先輩であり、我が落語芸術協会の副会長、三遊亭小遊三師匠の故郷、山梨県大月市に行ってきた。
小遊三師匠の落語会のゲスト出演だ。
ホールに到着すると、目の前には、山全体が石じゃないか!ってくらいの巨大な岩がむき出しの山。
そう、ここが甲斐・小山田氏の岩殿城だ!(写メ)
開演前の時間を使って、城攻めじゃ。整備がしてあるので登りやすいが、何しろ延々と続くつづら折りの急勾配~
岩殿城は三度目だけど、年齢を感じるなぁ~。
それでも、見晴らしが良くって素晴らしい景色が広がっている。富士山もキレイだよ。
山の上は、簡素な縄張り。ココに上がって来るまでが大変なんで、山頂部には手の込んだ縄張りは、必要としなかったんだろうなぁ~。
写メ2は主郭手前の「狼煙台」えっ?判りにくい…確かに♪
で、帽子被ってないでしょ。お気に入りの帽子をどこかに落としちゃったよ~ガックシ!
必死に下って、開演にセーフ。大月のお客様、ありがとうございました。
4号国吉城に
4号こと春風亭昇太は、福井県敦賀市で「敦賀落語会」に大阪の桂あやめさんと一緒に出演した。
ここ数日、長崎、大阪、福井県と西の仕事が続いていたが、地震の影響が少ない西日本は、街やお客様も明るくて、何だかこちらもホッとする。
そして昨日、福井県と滋賀県にまたがる名城「玄蕃尾城」に行く予定だったのだが、山は雪で断念!
急遽美浜町にある「国吉城」に連れて行ってもらった。
国吉城は粟屋勝久が越前朝倉氏の軍勢を数年にわたって守り通した「国吉籠城戦」の舞台だ。
山の麓には「若狭国吉城歴史資料館」があり資料や模型で国吉城の歴史を知ることが出来る。
発掘中の屋敷跡を左に見ながら、落語会の世話役の皆さんと登城!
巨大な土塁や、堀切、崩落した石垣…籠城戦の時に、朝倉兵に投げつけるために集められたという石仏が本丸に置いてある(写メ)
ここは、織田信長の、朝倉攻めの基点にもなったので、信長、秀吉ともに、この城にも入城したという。もしかしたら、同じ場所に立っていたかも知れない…久しぶりの山城は、歴史ロマン満載だ。
あー楽しかった!早くこんなふうに、日本中どこの城にも、訪れる日が来られるようになればいいなと。心から思った国吉城でした。
4号永田城へ
4号金仙寺城へ
4号こと春風亭昇太は、先日、日本テレビ「波乱爆笑」のロケで林家たい平君の故郷、埼玉県秩父市に行った。
そして、当然その前に行ってきたのが、ロケの集合場所、西武秩父駅に程近い「金仙寺城」
金仙寺という、立派なお寺の裏にある荒川と、その支流に挟まれた一方を、堀と土塁で遮断して生まれた、三角地帯が「金仙寺城」だ。
下調べによると、土塁に迫る敵に「横矢」(文字どおり、横からの攻撃)が掛けられるように、土塁に張り出しが見られ、幅も深さも立派な堀が見られるハズだった…そう、ハズだったのだが…張り出しは見られたが、辺りに生えていた、竹を伐採した時、この竹の置き場として、堀がちょうどイイと思ったのだろう、この堀の窪みに竹が山積みにされて、堀が見えない〜!
その一段下にある2の郭の方が、堀が見やすかったよ。
(写メ1 指差している所が土塁、その下の竹が寝てるトコが堀でしゅ〜)
まぁ、私有地だろうから、崩さないだけでも、有難いというものです…でも出来たら〜
林家たい平君の証言では、昔はここに池だか沼が有って、よく遊んだと言っていた。…水堀だったのかな?
本を書いていたので、久しぶりのお城ブログだ。
また更新します〜。
4号長谷堂城へ
4号こと、春風亭昇太は先日「山辺どんぶり亭」の皆さんに呼んでいただいて、山形での独演会を、やってきました。
どんぶり亭からの、出演依頼の殺し文句は「是非また来て下さい。お城を案内しますから…」だ。
当然「こちらこそ、是非」だ。以前「畑谷城」に連れて行ってもらったが、今回は「長谷堂城」
「長谷堂城」はドラマ「天地人」で一躍有名になった「直江兼継」が「最上氏」を攻めた時の標的になった城で「天地人」の頃は随分お客様が来ていたらしい。
町役場の三浦さんの案内で、見学〜♪
縄張りは、わりと単純で大人数でないと、守れなさそうな感じの城だが「切岸」(人工的に作った、城壁の斜面)が立派ですよ。写メの段々になってる斜面が解るかな?
「主郭」の入口は「桝形虎口」になってます。そして、その虎口の外側を包むように「土塁」の残存らしき物があり。三浦さんに「これ、虎口の外側に、もう1つ土塁が有ったんじゃないですか?」と言うと「あっ。そうかも知れませんね〜」との事。写メで、解るかなぁ〜?
わからない!って人は、それがしのメモ書きを御覧下され♪
この遺構は、色々な城図をみても、のってなかったので、もしかしたら新たな遺構発見かぁ〜。
…な〜んてね。色々と想像したり出来るところも、中世城郭の面白いところでやんす。
4号上田城へ
4号武田神社に
先日、甲府での独演会の前に「武田神社」に行った。
武田神社は、元をただせば「躑躅ケ崎館」という武田氏の館だった所だ。しかも、良く残っていて、戦国大名の館の姿を今に伝える貴重な史跡だ。
独演会の主催者「ざぶとん亭」馬場さんの運転で、武田神社に向かうと、なだらかな坂道を車は登って行き、館が少し高い場所に有った事が解る。
堀を渡って武田神社に入る。神社入口の石垣は後から積んだモノ。立派な本殿や、能舞台等がある素敵な神社だが、裏に回ると城郭の香りがプンプンしてくるぞ〜♪
西曲輪と北曲輪をつなぐ「土橋」に「枡方」(写メ)がカッコイイ♪
以前、来た時と違うのは、南側の「虎口」(お城の入口)が整備されていた事。石垣は、武田氏滅亡の後、甲斐の国が徳川氏のものとなってから積んだモノ。(写メ)
少しづつ整備が進んでいるようで、全体が整備されたら…と思うとオシッコ漏れそうです〜。
観光地「武田神社」に行った時は、是非その周りの城跡もみてね。
甲斐の国のお城巡りは、続きがあるよ♪
4号壬生城に行く
先日、栃木県壬生にある壬生中央公民館での落語会がありました。
市街地の「平城」の場合、堀さえ埋めてしまえば、広大な更地が生まれるため、役所や学校などの公的な施設が建てられている城址が多いのですが、ここもその一つ。中央公民館は「壬生城」の跡に建てられています。
公民館の楽屋口にタクシーが入る時、右手に土塁発見。オシッ♪カメラを持って出陣じゃ♪
現在の壬生城は公園になり、本丸南側の土塁と堀の一部を残すのみとなっていますが、土塁には「折れ」があって、なかなかカッコいい♪
でも堀には、取って付けたような石垣がペタッって感じで張り付いてます(写メ1)…解説板にあった整備前の堀の、カッコイイ写真と比べると(写メ2)トホホな気持ちになる。
史跡の公園整備は「程よく」…が難しいね。
まぁ、それでも市街地で完全に消滅した平城が多い事を考えれば、少しでも遺構が残っているのは、有り難いことだ。
約15分程の妄想旅行を楽しんだ後「壬生城」本丸に建つホールで「ちりとてちん」をやりましたとさ♪
もちろん「手洗い」してからね。
「畑谷城」に4号は行く
この仕事の依頼の時に「お城を案内しますからぁ~」と、ぼくにとって非常に有難いお言葉が…。
主催が「やまのべ落語愛好会」ということで、山形では一番行ってみたかった山辺町の「畑谷城」へ出陣じゃ♪
この「畑谷城」は城好きや研究者には、非常に評価の高い城で、先日「歴史読本」で対談した中井均先生の「日本の名城、都道府県別ベスト10」山形県の部では山形城に継ぐ、第2位に選ばれる程だ。
なんと言っても、その縄張りが面白い。
街道を取り込んでいる「畑谷城」は街道を城内に通す形で、主郭側にコの字型に開いた方形の空堀と土塁。
その山頂にポコっと乗った感じの「主郭部」
そして西側の尾根を断ち切り、そのまま南斜面の竪堀になる「三重空堀」(これを二重空堀とする説もあります)の3つが、大雑把な感じで、ボンボンと配置されています。
築城の常道にはない、珍しい形で。関東、東海の城を見慣れている城好きからすると、技巧的な感じはしないが、土塁や空堀の一つ一つが明瞭に残って、ほぼ完存している遺構は貴重だし、圧倒的な迫力がある!
キャーキャー言いながら遺構を巡り、特に西側の三重空堀にはウットリ。
バカの顔になっている(写メ1)は、その堀底。オマケに(写メ2)は堀と堀の間の土塁上から…両サイドが堀!わかる!?
縄張りの説明が分かりにくかったら、この城図(写メ3)を参考にしてちょ。
さらにこの堀の外側には、落とし穴のような丸い穴がポコポコと横一列に並んでました~♪面白い~。
歴史的にも「天地人」で一躍有名になった「直江兼継」や「前田慶次」が、慶長出羽合戦で最上氏を攻めた時に、圧倒的な軍勢でこの城を落城させ「撫で切り」(まぁ…女、子供も皆殺し)にしています。「愛」なんて兜かぶって、歴女から「兼継サマ~」なんて言われている直江さんも、エグイ事もしてますよ~。
かくして「畑谷城」について小冊子まで作って、懇切丁寧な解説をして下さった。後藤さんと役場の三浦さん、そして「畑谷城」の整備等にご尽力されている皆さんに、感謝しつつ、会場に…
♪また、山形のお客様がノリが良くってガンガン笑ってくれるので、楽しく演れましたよ♪
山形の皆さん、やまのべ落語愛好会の皆さん。ありがとうございました~♪
深沢城に4号が行く!
昨日、小遊三副会長と御殿場へ行ってきた。
あまり落語会をやっていない会場らしいので心配したが、高座に座ってみればそんな心配はどこへやら、楽しく出来ました♪
高座を終えて、まだ15時。十分に明るいのでタクシーを呼んでもらい、御殿場と言えば当然「深沢城」
この辺りは今川、武田、北条の勢力がぶつかり合うデインジャラスな地域。その紛争地帯の最前線が「深沢城」です。
お城は私有地となり、一帯が畑や田んぼになっていて、ちょうど田植えの準備中。作業中の地権者の方に「見せていだだいて、よろしいですか~」と声を掛けつつ進む…日本中のお城のほとんどが私有地なんで、エチケットが入場料みたいなモノなんです。
見所は「三日月堀」(写メ1)に、郭と郭との間に連続してキレイに残る「馬出」(写メ2)です。(両方とも判りづらくてスミマセン)
コンパクトで、見ていて楽しいお城でしたよ。
オマケは無理やり連れてこられた弟弟子の柳好さんです。辛そうだぁ~
それから訂正です、小幡城の中で、虎口土塁とあるのは、虎口、土塁と書くつもりで「、」が抜けてました。
田んぼではカエルがゲコゲコ鳴いてます…暖かくなってきましたね~♪
小幡城に4号は行く!
4号こと春風亭昇太は、どこの県に行っても、この県に来たんだから、ココだけは行っておかなきゃっ!!て城郭が有るのですが。
水戸に来ていたので。つー事は茨城県。茨城県といったら東茨城郡茨城町にある「小幡城」だ~!
「小幡城」はお城好きの、どなたのHPをのぞいても最大級の評価がされている、茨城の名城なのだ!
ボクも以前から一度は訪れたいと思っていた。
水戸に一泊して、昼に車で「小幡城」に向けて出陣じゃ。
入口から進むと、そこは堀底道。広~い、深~い。おぉ~、小幡城~。(写メ1)キャーキャー言いながら歩くが、それは現代人だから。もしも攻め手の軍勢なら、ここは空堀の中、左右の高~い土塁上からの攻撃に晒され、しかもこの堀はカクカクと折れているので、いつしか前後からの攻撃にも晒されます。ヒェ~!
空堀は迷路のようで、今どこを歩いているのか判らなくなるし、ひたすら攻撃に晒され放題。その堀底が結局、目的の郭につながってなかったりするから、タチが悪いぞ。ヒェ~!
土塁上に上がると、下の堀底は格好の標的になってる事がよ~くわかります。(解りにくいケド写メ2)
その他にも、土橋、虎口土塁の高さ、それを作った土木量!噂に違わぬ名城の迫力に開いた口が塞がらないのは、僕だけじゃなくナゼかこの人も…(写メ3)
巨大空堀迷宮「小幡城」にもう一度行きたいと思う僕の気持ち。ガッテンして頂けましたでしょうか♪
4号小机城へ
休日、昼まで寝てしまった4号こと春風亭昇太は、このままでは一日つぶれてしまう!!と、急遽「小机城」に行って来ました。
新横浜から二駅、横浜線「小机駅」から徒歩十数分。アクセスの良さと、遺構の良好さを考えたら「小机城」は都心では指折りの城郭です。
落語「道灌」でも登場する太田道灌が攻めて落城した城でもありますが。現在残る遺構は、北条氏時代のもの。豊臣秀吉の小田原攻めの時も籠城を想定して、緊張した状態に有ったと思います。(実際は、先に小田原城が落城して大軍勢の攻撃に晒される事はありませんでした)
「小机駅」を降りて日産スタジアムの反対側の小山が「小机城」そういえば、このスタジアムで、我が清水エスパルスの優勝やW杯エクアドルvsクロアチア戦みたいな渋い試合も観たなぁ~。
トコトコ歩いて「小机城」登り口を上がると左右に「腰曲輪」が広がり、いきなり「一の郭」南側の「空堀」にあたります。深~い。
そして一の郭の「虎口」(写メ1)に出ます。この門の右側(僕の帽子の上)には櫓があって、防御を強化してあります。
土塁に囲まれた一の郭の先には「馬出」そして「二の郭」ここにも櫓台があります。(写メ2)
「小机城」の見所は深い「空堀」とにかく深い!ここに入ったら、左右からの矢玉の餌食です!(写メ3)
この「小机城」通った事がある人は多いはず。実は第三京浜道路が、一の郭の隣。城の中央を貫いているんです。道路になった場所にも遺構があったのでしょうが、今は知るよしもありません。
道路の下を通って、反対側の富士浅間を観終えた頃に本格的に雨。
ここらで退き陣じゃ~。あぁ面白かった♪
4号歴史読本に
4号高知城に
4号こと春風亭昇太は、楽太郎師匠の円楽襲名落語会で、坂本龍馬で盛り上がる、高知へやって参りました。
そして、ホールから徒歩5分にある高知城に、開演前に出陣じゃ!
高知城への訪城は三回目くらい。普段は、建物が無い中世城郭ばかり見に行っていますが、ここ高知城は日本に12箇所しかない「現存天守閣」の一つ!
(早い話が、昔から建っていた天守閣。…それ以外は、後から建て直したか、全く建って無かったのに建てちゃった「なんちゃって天守閣」まぁこの「なんちゃって天守閣」のパターンが結構多いんだよねぇ~)
天守閣、門、石垣。やはり本物は見事です!
城攻めの後、ホールに戻り、いいお客様の前で一席と口上~。
高知のお客様、そして高知城。ありがとうございました~。
4号大田原城へ
4号こと春風亭昇太は、先日栃木県の大田原市での落語会に行ったのじゃ。
そう。少し早めに行って城攻めじゃ!
今回行きたかったのは大田原氏の居城「水口館」僕は方形の館も好きで、水口館には、土塁の一部が残っていると聞き♪ゴー!
だったのだが…行ったら解るかと思ったのに、場所がわからず。
地元のおじいさんに聞いたら、何度聞いても「大田原城」の場所を教えられてしまう。「水口館」にと言うと「あんた、誰にそんな事聞いてきたんだ。ここに、そんなモノ無い!!」と怒られるしまつ…
やむなく断念。多分もう行く事も無い「水口館」よ。元気でな…
で「大田原城」へ!
本丸土塁の高くて見事な事!(写メ1)土塁上に登って下を見たら、怖い怖い。断崖絶壁!高所恐怖症の僕は動けましぇん!(写メ2)
それにしても…「水口館」行きたかったよ~…
4号、阿波一宮城へ
4号こと春風亭昇太は、徳島へお仕事にやってきました。
あまり来る事の無い四国なので、当然、城巡り。
前日からの天気予報では雨。山城はあきらめてホテルの近くの「徳島城」でも行くかぁ~と、思っていたんだけど、朝少し降っただけで、日も差して来た。よ~し、前から行きたかった「阿波 一宮城」へ出陣じゃ!
徳島駅からタクシーで2O分程「四国霊場十三番札所、大日寺」の前の「一宮神社」から登る。
小笠原氏、一宮氏、長曽我部氏と城主が代わり最後は蜂須賀さん。代々の城主が手を加えながら使ってきたのだろう。
途中まで、左にガケ、右手に曲輪。右側から攻城側はやられ放題。いつもの山城の風景が続く中。突然、総石垣の本丸が飛び込んできます。
どうです、本丸虎口(入口)見事です!(写メ1)土塁萌えの僕も、山頂の石垣に大感激です~。
各曲輪は、それぞれが独立性が高くて、本丸を中心とした、砦の集合体のように感じられました。
「徳島城」が出来て、「一宮城」の役割は終え。一国一城制で廃城になります。
晴れて良かった~。「一宮城」良かった~。
4号早川城へ
4号こと春風亭昇太は、日先、綾瀬市での落語会の楽屋の廊下で、周辺地図を見ていたらホールの近くに「城山公園」という地名を発見。早速調べると「早川城跡」だったので、高座の後、イザ、城攻め!
早川城は、平安時代からこの辺りに荘園を持っていた「渋谷氏」が築いたようだが、この当たりは資料がないので、正確な事はよくワカラナイ~♪って事なんだけど、縄文時代の土器がでたりしているので、古くからイイ場所だったのだろう。
その渋谷さんから「早川」を名乗る一族が出てきて「早川城」中心に、ここを治め。その早川さんの末裔に「東郷」さんがいるのですが、そこから、日露戦争でバルチック艦隊を破る「東郷平八郎」さんが出るのだ。そんな事で、早川城内には「東郷氏祖先発祥の地碑」が立っているのですが、それはまた別のお話し…
車でササーッと行くと城山公園の入り口。背後の売り出し中の住宅地が「三の郭」公園のコンクリートの敷石が広がっていている場所が「二の郭」らしい。
最初から期待してなかったし。まぁ、こんなものかなぁ~と思ったのだが、先に進んで、橋を渡ると両サイドは見事な堀切だった。敷石が敷かれていたので、解らなかったのだが、そこは土橋だったのだ♪(写メ1)
土橋を渡った「主郭」には高い土塁が有り、土橋、堀切、土塁の見事な三点セットが、揃ってました。
写メ2は、堀切ね。
他の遺構から比べると、この部分だけ、しっかりしているので、公園化する時に整備したのかなぁ~。
いずれにしても期待していなかった分だけ、得した気分になりましたとさ。
お城が無い地域なんて無いので、こんな出会が中世城郭にはあります♪
城山公園、城山中学校、城山神社。み~んな城跡だぁ♪
4号米沢へ
間違えたぁ
「安生」じゃなくて「安城」でした。
ちなみに「山中城」は岡崎市にあります。
4号は三河「山中城」へ
4号こと春風亭昇太は、先日まで「大名古屋らくご祭」で、名古屋三昧だった。
「SWA」「独演会」「6人の会」と最後はもうクタクタでした。こんなに出るの、もーやめよ。
終わった翌日の夜、瀧川鯉昇兄さんと一緒に「安生落語会」へ…そして、落語会が18時30分開演って事は!!昼とーぜん「お城へ」
また、この辺りはお城がうじゃうじゃ有るのだ。
選んだのが「山中城」山中城というと、静岡県三島市の山中城が有名だが(有名って言われても、困るかも知れないケド)今回は三河国「山中城」
この城は三河の国人「西郷氏」によって築かれ「松平」属し、その「松平氏」が今川氏に属すと今川氏の物になり。「桶狭間の合戦」で今川氏の力が弱まると、また「徳川氏(松平氏)」に攻め落とされ。一向一揆勢に占拠され、また取り返し…と、国境のお城は忙しい!!
「舞木口」から侵入すると、左側は急斜面で逃げ場が無い中、右側からの攻撃にさらされます~。
そして、その先は土橋が待っています。(写メ1)たまりません~。さらに進めば右から正面から攻撃されます~。ハァ…
二の郭の周りの土塁もよく残り。その先の「腰曲輪」も見ごたえ十分!いいお城でした♪